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help リーダーに追加 RSS 宇和島の紫電改

<<   作成日時 : 2008/12/23 21:32   >>

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今日は、筆まめを更新して、えっちらおっちら年賀状印刷。
しかし、何故だか複数枚印刷すると郵便番号が印刷されない…仕様かバグかよく判らないのだが…。
取り敢ず、途中で諦めて、1枚1枚手で印刷する事になったので、如何にも手作り感溢れる年賀状となってしまいました。

ああ、後、成り行きで書く事になった人事評定も作らないといけないし…orz。
全く師走って奴は…。

さて、昨日は宿毛湾について書いてみた訳ですが、四国の海軍部隊と言えば愛媛松山の343空が余りにも有名です。
そう言えば学生時代、宇和島に合宿に行った事があったのですが、其処で初めて紫電改を見ました。
結構大きな期待だった事を覚えています…今でもあれはあるのでしょうか。
日本の場合、こうした近代遺産は朽ちていく事が多いのですが。

高知県内には戦闘機部隊ではないものの、日章村に1944年3月に開隊した偵察員養成の為の高知海軍航空隊が、第13連合航空隊の隷下にありました。
この日章村の飛行場は1942年春から勤労奉仕で造成され、1944年の開隊当時、兵舎1棟のみが完成したのみで、滑走路はこの時点でも未完成でした。
その後、中等学校生徒、隣組など約300名の勤労奉仕と、受刑者50名、それに航空練習生の課業後の作業で、4月末にやっとコンクリート舗装の滑走路が完成していました。
1945年3月になると、第10航空艦隊麾下に変更され、特攻基地となり、一部の隊員は鹿屋に進出して52名が戦死しています。

2つ目の海軍航空隊は高知市池にあって、第19連合航空隊麾下の浦戸海軍航空隊として1944年11月に開隊していました。
この基地も、予科練乙訓練用の基地であり、1945年7月に第21連合航空隊麾下に変更されています。
この浦戸海軍航空隊の中隊本部は、高知市長浜の民家に置かれており、40名の予科練習生が駐屯していました。
1945年6月のある日、中隊長が庭に少年兵達を集め、怒声を浴びせながら殴り始めました。
その家の御婆さんが見かねて少年兵達の前に立ち塞がり、凛として「兵隊じゃいうたちこれらあまだ子供じゃないかね」と声を上げ、気がつくと中隊長の胸座を掴んでいたそうです。
結局、その御婆さんの迫力に負けた中隊長は殴るのを止めましたが、程なく中隊本部はその民家を離れました。
戦後、元兵士にその訳を聞かれた中隊長は、「あんな人間的な人の家にいては、君たちの精神が鈍り、いよいよ最後と言う時に怯みはせんかと心配した」と答えたとか。

戦争の理想と現実と言うものを如実に表わした出来事だなぁ、と思ってみたり。

高知県で最も古い海軍航空隊基地は、元々臨時訓練基地として作られた宇須々木の水上機基地でした。
設備は全くなく、訓練期間中はテントを張って、要員は民家を借りて宿泊していました。
その後、1937年に兵舎2棟が建設され、太平洋戦争激化に伴い、第一線から帰還してきた搭乗員を再訓練する錬成航空隊として、1943年4月に連合艦隊直属として宿毛海軍航空隊が発足しています。
宿毛航空隊は、兵員約200人で構成され、配備の水上機は複座水偵9機、三座水偵8機、二式水戦9機でした。
この航空隊開隊と共に、宇須々木には水上機引揚場、修理工場、燃料庫、弾薬庫も整備されていきます。
ただ、宇須々木は波の関係で水上機の練習には余り適していない事が判明し、8月には大分の佐伯に移駐してしまいました。

この他に、飛行場としては、仁井田、窪川がありました。

愛媛には松山に1943年3月開隊の松山海軍航空隊、西条に1944年3月開隊の西条航空隊の他、同時期に宇和島に宇和島海軍航空隊が開隊します。
これは、1944年に海軍が、今までの航空消耗戦で航空隊員を大量に消耗したことに対応して、航空隊員の大量養成計画を立て、予科練訓練生を大量に入隊させて育成する計画に即応する為に新設した部隊で、宇和島では偵察専修生を教育する予科練航空隊として宇和島市郊外の坂下津に開隊しました。
開隊当時は、松山海軍航空隊宇和島分遣隊と言う名称で、兵舎は買収した敷島紡績工場の建物を其の儘区切って使用しました。

1944年4月、宇和島空第1期生として松山航空隊から1,800名が到着し、5月に第2期生として1,800名、8月に第3期生として600名が到着し、1945年6月には教育中止後に松山空から転属した練習生もいました。

1945年3月になると予科練航空隊も本土決戦に備えて地区ごとに再編成され、宇和島空は松山空から分離独立し、第21連合航空隊になります。
それと同時に教育は事実上中止となり、練習生は戦備作業に忙殺されました。
3月に、大分県の宇佐航空隊基地に1,200名が派遣されて同地で隧道兵舎や誘導路の工事に従事し、4月になると次の組と交代、新たに福岡県の築城基地にも派遣されています。
一方、残留者は隊内の航空掩体壕掘り、開墾や松根油採取作業の為に各地に派遣されました。

6月には、遂に予科練教育は中止となり、練習生は特攻隊員と陸戦隊要員に分けられました。
6月1日付で、伏龍要員100名が野比の対潜学校に派遣され、6日にも150名が同じく伏龍要員として戦艦日向に派遣、6月末には幾人かが倉敷空に転属し、震洋・海龍要員として訓練を積む事になります。
残りの練習生は陸戦隊要員となり、愛媛県御荘町から高知県土佐清水までの沿岸一帯に派遣されました。

また高知でも彼等練習生で特攻隊員となった者以外は、陸戦隊に編入されました。
浦戸航空隊の練習生を中心に、1945年7月15日付で編成されたのが呉鎮守府第1陸戦隊(20日には第11特別陸戦隊に改称)、松山と宇和島航空隊の練習生を中心に、同じく7月15日付で編成されたのが呉鎮守府第2陸戦隊(同じく20日付で第12特別陸戦隊に改称)の2個陸戦隊が編成されました。
陸戦隊要員となった者は、陸戦の講習や簡易兵器の政策を行った後、6月中旬に四国南西部に移転し、宇和島航空隊では、6月13日に第1陣が御荘町に、16日に第2陣が城辺町に海路移動し、松山空編成の第13大隊、第14大隊が本部東外海村深浦に、宿毛に本部を置く第15大隊が、東外海村から高知県土佐清水に掛けての深浦、宿毛、小筑紫、泊浦、柏島、古満目、清水など、水中・水上特攻基地の周辺に展開されていました。

艦艇部隊としては、1939年10月1日付で設置された佐伯防備隊があります。
これは司令部が大分県佐伯にあり、この部隊の任務は、瀬戸内海、豊後水道から奄美大島、土佐沖海面に於ける、港湾や水道など重要海面に侵入する敵国艦船の捕捉と攻撃、自国艦船の安全航行の為の護衛や掃海任務を担当しました。
特に、佐伯防備隊では、重要港湾の防備だけでなく、侵入口である豊後水道の防備に最も力を入れており、豊後水道に機雷を敷設し、水中聴音機を設置していました。
陸上には探知機の受信施設である防備衛所や見張台、砲台が設置され、佐伯航空隊や約40隻の艦船と共に掃海任務も担っていました。

防備衛所には甲衛所と乙衛所の2種類があります。
甲衛所は水中聴音機とそれに連携した機雷を備える衛所で、乙衛所は水中聴音機のみを備える衛所でした。
こうした衛所は、九州側に乙衛所として高島、保土島、大島、芹崎、甲衛所は鶴見崎の計5箇所、四国側には乙衛所として日振島、由良崎、鵜来島、甲衛所は高茂岬の合計4箇所に設けられていました。
また、芹崎と鵜来島には1942年前半に砲台が置かれましたが、戦争の激化に伴って各衛所の設備や人員は増加し、由良岬には本土決戦に備えて砲台が設置され、高茂岬、武者泊、鵜来島には電探を装備した見張り所が設置されていました。

また、本土決戦に際しては、各地に特攻戦隊が配備されています。
小松島に第6特攻戦隊で震洋を装備する第22突撃隊50隻、宿毛に第8特攻戦隊麾下で震洋を装備する第21突撃隊の第132震洋隊(土佐清水)、第134震洋隊(柏島)、第142震洋隊(泊浦)で合計50隻、須崎の第8特攻戦隊麾下で震洋を装備する第23突撃隊の手結、浦戸、宇佐、野見、興津、須崎に震洋隊合計175隻が配備されたり、配備予定となっていました。
回天は第22突撃隊に4隻、第21突撃隊麾下の第11回天隊が愛媛の麦ヶ浦に8隻、第23突撃隊が浦戸と須崎に回天隊を2隊24隻配備しています。
海龍は、第22突撃隊が24隻、第21突撃隊が第17海龍隊として小筑紫に12隻、佐伯の第8特攻戦隊麾下の第24突撃隊が佐伯に海龍隊を12隻保有し、蛟竜は、第2特攻戦隊麾下の広島県大浦にある大浦突撃隊と小豆島の小豆島突撃隊に36隻、第10特攻戦隊麾下の第101突撃隊(大分県佐伯)と第102突撃隊(愛媛県深浦)にも何隻かが配備されていました。
更に、これらを補完する為に、魚雷艇隊が古満目、手結、浦戸、須崎に配備されていました。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
 今でも貴重な観光資源であるようです.
http://www.mapple.net/spots/G03800017501.htm
消印所沢
2008/12/23 22:20
 ちぇ〜 先を越された……
ベタ藤原
2008/12/23 23:07
あ、行ったことある。真珠で稼げなくなっていて、猛烈寂れてる町だった。飛行機はかっこよかったです。
bernoulli
2008/12/24 05:27
ありまとうございまふ。
未だ、現役で生きていたのね。
眠い人
2008/12/24 23:36

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