眠い人の植民地日記

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<<   作成日時 : 2010/01/13 23:50   >>

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今日は人事の締め切り。
上司が居なくなったのを幸い、上司の机を占有して人事考課を作っていました。
それにしても、人を評価するのに慣れていない所為で、結構書くのに骨が折れました。
更に新人ちゃんの育成計画とかもきちんと書かねばならず、そう言うのを余り考えたことのない私はそれだけでテンパってみたり。
未だ未だ、管理職としての修行が足りませぬな。

そう言えば、今日はロンドンで山梨県知事が甲州葡萄のトップセールを行っていたみたいです。
葡萄自身の筋は良いのですが、醸造技術は現在の旧世界のワインに比べると雲泥の差なので、舌の肥えた英国人にはちと辛いのではないでしょうか。

現在のフランスでワインの大産地と言えば、ボルドーとブルゴーニュ、それにシャンパーニュになります。
この他、様々な産地がありますが、日本で有名なのは大体この辺りでしょうか。
まぁ、ボジョレーの方が最近は有名なのかも知れませんが。

先日も触れましたがボルドーはどちらかと言えばマーケティングの勝利で市場を勝ち取ったワインです。
中世の頃は、ラ・ロシェルに代表されるアンジュー地域など北フランスのワインが特に輸出市場では優位に立っていました。
しかし、ボルドーを含むアキテーヌ公領を所有していた公女アリエノールが、1152年にアンリと再婚したことで浮上するきっかけを掴みました。
このアンリは父方よりアンジュー伯領、メーヌ伯領、母方よりノルマンディー公領、ブルターニュ公領を相続し、更にアンジュー・プランタジネット朝を開いてイングランド王の地位にもありました。
彼こそがイングランド国王のヘンリー2世になります。

当時、イングランドとフランスはヘンリー2世が継いだ広大な大陸の領地を巡って幾度となく戦争を起していました。
その中の1つである1224年に戦端を開いた英仏戦争では、世襲王となったルイ8世率いるフランス王国軍がイングランド領土だったサントンジュやポワトゥを奪取しました。
この際、ラ・ロシェルはフランス軍に城門を開きましたが、ボルドーではイングランドに忠誠を誓い、フランスに抵抗しました。
こうした事もあって、ヘンリー3世は1235年になるとボルドーに自治権を与え、これを優遇しました。

この頃、イングランドではガロンヌとドルドーニュ河流域のワインの人気が高まり、イングランドにはクラレットと言う名称で輸出されていました。
現在では、ボルドーの赤ワインを意味するクラレットですが、この語源はフランス語のクレレで、これは色の薄い赤ワインであり、基本的には1年以内に飲むワインでした。
クラレットは、ジロンド沿岸のワインに限らず、ドルドーニュ、ロット、タルヌ河周辺などの内陸部のワインもボルドーに集荷され、ここからイングランドは元より、北欧諸国に輸出されていきました。

1337年に百年戦争が始まりましたが、この時にフランスに味方したカオール、ロデーズ、アルビなどの内陸部の地域は、ボルドーへのワインの搬入日を聖マルティネスの日であった11月11日から、12月25日以降に遅延させられました。
1年以内に出荷しなければならない当時のワインにとって、これによる経済的損失は大きく、以後、内陸のワインは大西洋方面への輸出ルートを絶たれてしまいました。
最終的に百年戦争は1453年に終結し、イングランドはフランスに於ける領土を失います。
かくして、ボルドーもフランスに属することになったのですが、ボルドーの輸出港としての特権は、一旦失われたものの、ボルドーが再びイングランドに寝返るのを恐れたフランス王シャルル7世によって復活させ、以後も繁栄を謳歌する様になりました。
勿論、イングランドも旧領地を見捨てたという負い目がありますから、無碍にはしません。
この様に、ボルドーから出荷されるワインは、ますます各国へと輸出される様になります。

それから暫く経った17世紀後半からは、英国人は色の濃いワインを好む様になりました。
ボルドーの人々は、こうした変化を素早く確認すると、ガロンヌ河左岸を排水することで得られた土地を改良して、カベルネやマルベックと言った品種を植え、葡萄の収穫量を制限して、遅摘を採用するなどしてワインの品質を高める努力を怠りませんでした。
更に色を濃くするために、エルミタージュなどローヌ地方のワインを混合したりもしました。
また、この頃から瓶詰めが行われるようになり、長熟タイプのワインが広まると共に、英国の貴族階級は、こうした濃い色のワインをニュークラレットと称して持て囃しました。

1709年には大寒波がフランスを襲い、あらゆる樹が枯れてしまいました、
それは火の気のある部屋でさえ、戸棚の中のローズマリー水や強い蒸留酒の瓶が割れた程のものだったと言います。
この寒波からの復興に当って、グラーブとメドック地区の土地改良が大々的に行われ、丘では排水工事が、沼沢地では土や砂利が投入されて干拓されていきました。
当然、こうした事業を行えるのは裕福な人々のみが可能なものでしたが、こうして出来た土地で生産されたのが、現在ではメドックの有名シャトーの起源になっていきます。

ボルドーワインは主に輸出向けのもので、国内向けには殆ど出荷されませんでした。
王宮で飲まれる様になったのは、ルイ15世時代まで下ることになり、市民が飲むのは未だ先の話です。
そのスタイルは英国人を中心とする人々の嗜好に合わせたものでした。

一方、それと双璧を為すのがブルゴーニュワインです。
これはローマがローヌ河とライン河を結ぶためにソーヌ河流域を利用する様になってから、その丘陵地帯がワイン生産に適しているという認識が為されたことに始まります。
中世には教会や修道院がワインの改良を進め、ブルゴーニュ公国時代には、公自身が優良ではないガメ種などの葡萄栽培を禁ずる法令を発布するなど、品質の良いワインを作る事に熱心でした。
この為、昔からブルゴーニュワインは優良ワインとして知られ、ボルドーワインと違って、早くからフランス国王御用達ワインとして納入されていました。

ブルゴーニュの特徴は畑の位置によってワインの風味が異なることが早くから知られていたことです。
この為、畑の区画毎に石垣などで囲いが為され、畑の区画によりワインの区分が為される様になりました。

17世紀にはブルゴーニュワインはボルドーワインとは対照的に薄い色が好まれたそうで、フロマントを加えて作られたそれは、「山鶉の目」と称された色をしていました。

18世紀に入ると一転濃い色が好まれるようになり、色の濃いワイン造りに邁進します。
その中心となったのはワイン商であり、農民達は比較的小さな畑の持ち主達なので収量の高いガメやアリゴテを植えたいと望みましたが、ティジョンとボーヌに本拠を置くワイン商達は断固としてそれらの品種を排除していき、ワインの質を維持していました。

19世紀半ばには赤ワインの品種はピノ・ノワールの単一栽培となり、現在のブルゴーニュワインの基礎が出来上がっていきました。

シャンパーニュは先の二者と比べると比較的新しく、17世紀末にパリ周辺の北方ワインが没落しつつあった代わりに、北限の地のランス、アイ、エペルネの丘陵地帯で作られたワインの質が評価される様になってきてからのことです。
1688年には有名なドン・ペリニョンがベネディクト会大修道院の酒蔵係に就任しましたが、彼は異なる区画の畑から獲れた葡萄の果汁をブレンドして発酵させることでワインの風味を改良しました。
17世紀後半からは瓶詰めが普通となり、3月中頃に瓶詰めを行うと残糖が決まって再発酵して発泡性のワインになることが知られ始めてきました。
実際に発泡を思いついたのは英国人と言われ、ワイン商が樽で輸入したワインを瓶詰めする際、少量の糖分を加えて発泡性にしてシャンパーニュを販売したとされます。

ルイ15世の治世、オルレアン公フィリップ2世の摂政時代までにはスパークリングワインとしてシャンパーニュが定着し、その後生産工程とスタイルが改良されて、19世紀初頭の1805年にはクリコ・ポンサルダン夫人のシャトーの従業員が瓶を逆様にして澱を取り除くリミュアージュという方法を見つけ出したり、様々な広告宣伝を打って販路を拡大して、英国だけでなくロシアやドイツにも売られていきます。
以後の発展は、前に見た通りです。

こうなると、ワインの格付けが喧しくなります。
ボルドーでは従来から貴族的なシャトーのワイン(クリュ・クラッセ)と、ブルジョワのワイン(クリュ・ブルジョワ)、農民のワイン(クリュ・ペイザン)と言う3つの区分がありましたが、18世紀の中頃からワイン商の間で、名醸ワインを中心に1〜3級までの格付けを行いました。
因みに、1787年にフランス大使として赴いた米国のトマス・ジェファーソンも格付けを行っていたりします。

19世紀中頃には価格に基づくワインの序列が確立してきて、1855年にパリ万国博が開催される頃には、ナポレオン3世がボルドー商工会議所に対し、ボルドーワインの格付けを行う様に要請し、商工会議所は仲買人組合に格付けを依頼し、当時の価格を基準にしてメドックとソーテルヌの名醸ワインの格付けを行いましたが、この格付けは現在では継承されていません。
これは、市場価格が基準で、かつ、地理的基準ではなく生産者区分である為でした。

ブルゴーニュの格付けは、石垣で囲われた畑であるクロの単位で行いました。
特に革命後は土地の細分化が発生し、1つの畑の区画に多くの生産者が居ると言う状態でした。
1855年に初めて格付けが行われますが、これはコート・ドール県のワインについて畑を基準に、「別格の畑」「1級畑」「2級畑」の3区分による格付けが為されました。
1862年に再び万国博が開催されることになり、ボーヌ農業委員会は、その格付けを参考に、ブルゴーニュの名醸ワインの格付けを行いました。
これは畑の区画と言う客観的なものであり、地理的な産地を基準とする法律に於いても考え方の一つとして継承されていっています。

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