眠い人の植民地日記

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help RSS フランス語は客間で、フラマン語は台所で

<<   作成日時 : 2011/10/13 23:53   >>

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あ、字余りだわ。

今日は久々に会社。
私が結石で休んだと知るや、お近くのおじさん達がわらわらと湧いてきて、ひとしきり、結石談義に花が咲きました。
矢張りあの七転八倒の痛みは、経験者で無いとわからないよねと言う事で、妙な連帯感を持ってみたりして。

さて、コンゴの言語問題ですが、これには宗主国であるベルギーの言語問題が大きく影を落としています。
なので、先ずはベルギーの話から。

ベルギーと言えば、最近も政府が倒れたり、首相が決まらなかったり、或いは辞職したりと色々と不安定な政府が続いています。
この国の公用語は、3つあります。
オランダ語系のフラマン語の話者が約600万人、比率にして58%で、フラマン人が主として用いています。
フラマン人が居住しているのは国の北半分の東西フランドル州、アントウェルペン州、リンブルク州、ブリュッセル地方です。
もう1つは、フランス語で話者は約400万人、比率にして40%で、ワロン人が主に用いています。
ワロン人が居住しているのは、国の南半分のエノー州、ブラバント州、ナミュール州、リエージュ州、ルクセンブルク州です。
3つ目はドイツ語で話者は上記2つの言語に比べると非常に少なく、話者は僅かに約7万人、比率にして0.7%でしかありません。

フラマン語はフランスとベルギーのフランドル地方で話されている言語で、広く捕えればオランダ語の変種です。
13世紀、フランドル地方の諸都市は繁栄し、強大化していきました。
イーペルとヘントの非常に多くの作業場で羊毛が紡がれ、染められ、織られて、商人達は欧州のあらゆる国にラシャを輸出していました。
イングランドとの交易は活発で、ブリュージュはフランスワイン、ビール、塩などを輸出し、イングランドからは自分たちの産業用に染色用品を輸入していました。
一方、ブリュージュの商人は定期的にシャンパーニュの市に通い、政治的にフランスに帰属していた事から、フランス語の語彙が彼らの言語に取入れられていきます。

しかし、その繁栄も僅か1世紀で終わり、14世紀になるとブリュージュが位置し、外港と成していたズウィンが沈泥により港としての機能を失い、それにつれてフランドル諸都市は凋落していき、代って、ブラバント州のアントウェルペン、ブリュッセルが台頭してきます。
中世末期のオランダでは、この時代ゲルマン語の都市であったブリュッセル方言に基づいた標準言語が話されていました。
その中世末期の15世紀に発明された活版印刷術は、オランダ語の普及に手を貸します。
アントウェルペンでは印刷機により、早い時期に南部でも広まり、書き言葉の標準となりました。
これにより、ブラバント方言が新たに書き言葉の基準になります。

また、この地域の金持ちで教養有る人々が新たに北部に移住し、ロッテルダム、ハーレム、アムステルダムが発展して今度はホラント方言が力を得、また、有名な印刷屋がデルフト、ユトレヒト、ライデン、ハーレムに開業して更にこの言語の発展に一役買っていきます。
こうして、ホラント方言は、「オランダ語」と呼ばれる様になります。
16世紀後半に誕生した此の言葉は、ABN、つまり標準オランダ語となり、17世紀以後には確実に1つの言語を成していきました。

一方、南部はフランスと密接な関わりを持ち、フランス語の影響を強く受けています。
しかし、言語が紛争要因になったのは、意外に新しく、19世紀になってからです。
元々がゲルマン語とフランス語の言語境界線上に位置した地域で、それなりにバランスを保っていたのですが、ナポレオンによるネーデルラント占領後、一旦はフランス語の優位が確立されてしまいました。
1815年、英国の意向で、ベルギーはオランダに併合され、ネーデルラント王国となりましたが、オランダ主導の国家運営にベルギー側が反旗を翻し、遂には1830年にオランダから分離独立します。

これは裏ではフランスが英国に対抗して動いていたと言われ、事実、1830年にベルギーが独立した際、公人の生活ではフランス語が使われ、上流社会でもフランス語が使われており、独立時の公用語はフランス語でした。
この時の憲法では「言語の自由」が定められていましたが、これはオランダ語の強制に対する反動であり、「フランス語を用いる自由」を意味しています。
事実、1830年11月16日の法令では、フランス語を公用語に指定しました。
この「言語の自由」については、ワロン人は、言語を自ら選択し、変更する自由でもあると言う考え方ですが、フラマン人は自らの母語を話す権利という考え方であり、非常に対照的です。

とは言え、人口の半分以上はフランス語を使わないオランダ語系のフラマン人です。
経済的に北部のフラマン人が力を付けてきたことと、人口的に様々な圧力を受けて、やっとフラマン語を公用語にしたのが1898年のことです。
以後、フラマン語とフランス語が併記される様になりましたが、実は憲法のフラマン語版が出来たのは1967年に入ってからです。

因みに、フランス語系の言葉としてはベルギーにはワロン語と言う言葉があります。
こちらは厳密に言えば、フランス語とは違って、その祖先であるオイル語の一つの方言です。
元々は、ベルギーだけで無くフランスのロアール川辺りまで話者がいた言葉でしたが、1713年のルイ14世によるユトレヒト条約によりこれら地域がフランスに併合された際に、ベルギーの生きたワロン語と切り離されてしまいます。
以後、フランスの方は、フランス語に浸食されて現在では殆ど生き延びていません。

先走りましたが、1852年、ヘント大学でフラマン文学の講座が設置され、フラマン人の言語運動に弾みが付きました。
首相が設置した委員会は、教育、軍隊、裁判、行政に於ける2言語制度を勧告しましたが、ワロン人の自由党が多数派を占める議会はこれを拒否。
しかし、1865年にフランス語を解さないフラマン人に、フランス語の法廷で死刑が宣告、執行された後、無罪が判明すると言う事件が起き、フラマン人の運動はカトリックの運動と絡みながら、文化運動から政治運動へと発展していきます。

それ以後、公的な分野での2言語主義が追求され、1872年に刑事訴訟法廷でのフラマン語使用が認められ、1878年には地方行政の分野、1883年に中等教育でのフラマン語使用が認められ、と使用範囲が拡大し、1898年に漸く総ての法律や勅令が両言語で書かれる様になりました。

とは言え、この法律上の平等は見せ掛けだけのものでした。
2言語主義とは言え、ワロン地域ではこれまで通りフランス語1つで総てが事足り、2言語主義の恩恵と負担を背負うのはフラマン語地域だけでしか無かった為です。
幾らフラマン語運動が盛り上がったとしても、依然として多くのフラマン人は、社会的必要からフランス語を学び、フランス語への切り替えも多く行われていました。
この為、「フラマン語は台所の言語」とさえ言われていました。

こうした不平等を打ち破る為、フラマン語地域ではフラマン語だけを使用しようと言う、「地域言語主義」を提唱しました。
つまり、ワロン語地域ではフランス語を使用すれば良いが、フラマン語地域ではフランス語の使用は罷り成らぬというものです。
これが先鋭的な形で行われたのが、第1次世界大戦中の急進派の動きでした。
彼らは、占領ドイツ軍の協力を得て、フラマン王国の建設を目標にヘントに結集し、自らをアクティヴィストと呼び、ガン大学をフラマン語化したばかりか、1917年にはフラマン地域評議会を樹立、更にフラマンとワロンの分離を占領軍に認められ、1917年末にはフランデレンの独立を宣言するに至ります。
とは言え、教授の大多数が抗議辞職したガン大学に学生は集まらず、フラマンとワロンの行政的分離にも全国的に反対運動が広まり、ドイツの敗北と共にこの運動は自滅、アクティヴィスト達の多くはオランダに亡命し、或いは国内で死刑判決を受けました。

こうした行き過ぎた活動で、戦後のフラマン運動は一時交替しましたが、ブリュッセルに帰還したアルベール王が言語問題解決を宣言し、カトリック党と労働党がベルギーを地域言語別に再編することになります。

1932年には新しい言語法が、ブリュッセルと言語境界線地域を特別地域として除外した上で、行政、初等・中等教育にその地域言語のみを使用することを義務づけました。
これにより、親の意思で子供の教育言語を選ぶ事が出来なくなり、フラマン語地域のフランス語話者は窮地に立たされることになりましたが、災い転じて福と成すと言うか、フラマン語で教育を受けることで、その子供はバイリンガルになる事が出来ました。

戦後の1961年に言語境界確定法により既存の言語境界が基本的に凍結され、1963年のブリュッセル及び周辺地域言語法により、フーロンとムスクロン、コミーヌの所属州変更と共に、ブリュッセルの範囲と使用言語が確定しました。
ブリュッセルについては、ブリュッセル市を含む19自治体は従来通り2言語併用地域とされ、それに隣接する自治体は、オランダ語地域という規定は変えないまま、条件付で教育、行政に於けるフランス語の使用が認められました。

そして、1963年には言語法を制定して、地域言語主義に基づき、行政と教育言語を定めていった訳です。

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