眠い人の植民地日記

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<<   作成日時 : 2012/01/08 23:17   >>

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今日は連休の中日。
しかし、今日は風が強く寒かったので冬眠モード。
てか、煎餅蒲団の綿が出て来たので、そろそろ新しい蒲団を買わねば。

さて、朝鮮半島は当初ソ連にとってはどうでも良い問題でした。
それは当初、占領計画については軍単位で考えろというスタンスだった事からも判ります。
従来は朝鮮北部の占領やその後の政権樹立について入念な計画があったのでは無いかとされていましたが、ソ連崩壊後の史料から、そうした計画があったと言うのはとんでも無い誇張である事が分ってきました。

元々、ソ連としては欧州や中央アジア地域を重視していました。
欧州ではドイツの伸張を抑えるためにも緩衝地帯が必要でしたし、インドからの英国の伸張を抑える為に緩衝地帯が必要でしたが、極東は辺境の地で日本が倒れるとこの地域での脅威が消滅する事から、朝鮮半島北部の占領も一時的であり、重要視していなかったのが正直な所です。
しかし、米国でルーズヴェルトが死去し、トルーマンが政権を引継ぐと、その関係は急速に悪化していきます。

こうして、朝鮮北部地域にソ連にとって「友好的な」政府を樹立する必要に迫られてきました。
戦前の朝鮮半島は、ソ連からすれば、日本がソ連を攻撃する際の橋頭堡と信じられていました。
日本が消滅して米国と冷戦が勃発し、朝鮮半島に親米政権が樹立されると、今度は米軍がソ連本土を攻撃する際の橋頭堡となる可能性がありました。
この為、ソ連にとって安全保障の為に朝鮮半島北部に「防衛の為の緩衝地帯」を作るのが重要政策になっていきます。
これも、従来の研究では、ソ連政府は、朝鮮半島全土を支配する友好的(願わくば共産主義的)政府を樹立するべきだあるとされていたのですが、実際には、ソ連は米国がそうした事態を静観する事はあり得ないとの結論を早い段階で下しており、1946年初春に別個に朝鮮半島北部を支配地とする友好的政府の樹立に動いています。

但し、ソ連政府は少なくとも当初は、米国との究極的妥協の可能性を排除しておらず、1946年3月の段階でも、平壌にいたソ連軍の専門家は将来の全朝鮮政府の構想提案を起案し、モスクワに送っています。
それに依れば、この時期、金日成には相当控えめな国防相の椅子が用意されているに過ぎません。

しかし、信託統治や朝鮮統一政府の計画が米国の反対で頓挫する事が判ると、ソ連当局は北部のみの独立国家樹立を選択しました。
同様に、米国も同じ思考を辿り、朝鮮半島南部を軍政下に置いていた米軍当局は、年老いた民族主義者で米国との関係が深く、頑迷な反共主義者としての信任状を持っていた李承晩を支援していました。
米国の監督下で李承晩等の民族主義者達は独自国家を目指し、初めから反共、西洋風民族主義のイデオロギーを有していました。
米ソ両国では暫くの間話し合いを続けますが、両者とも進んで妥協せず、結局は朝鮮半島は分断されたのは周知の事実です。

1946年頃から、ソ連民生局によって朝鮮半島北部で進められていた政策の骨子は、「人民民主主義」や「人民民主主義革命」と言う理論の考え方でした。
つまり、朝鮮半島北部で進行している事態は、他のソ連による支配(占領)地域と同様、「人民民主主義革命」の段階であると捉えられ、これはやがて「社会主義革命」へと発展する事になります。

この図式に従うなら、統一戦線に支持された「人民民主主義」権力の確立の後に続くのは、全面的民主的改革、即ち、急進的な土地改革、工業や銀行の部分的国有化、両性の平等、そして民主的自由の確立にあるとされました。
尤も、これら宣言された多くの自由とは、単に紙上のものに過ぎず、或いは精々この様な新体制が支持すべきものであって、これに民衆が反対する事は出来ないとされていました。
この段階では、工業の私的所有は、ある程度限界があるとしても一応は保護され、誰も農業集団化を主張せず、しかも非共産党的政党にも寛容ですが、実際には可及的速やかに共産主義者の手に権力が渡る事になったのです。

スターリン的に理解された社会主義とは、後の段階に回されたものの、それは「人民民主主義革命」が真の社会主義的改革の基礎となる、と言うものでした。
この図式は朝鮮半島北部での共産主義化の試みを図ったものに依り、指導方針とされました。

因みに、1951年に西側のヒュー・セトン−ワトソンなどは、早くもこの段階で典型的な共産主義者の権力掌握についてモデル化しています。
それに依れば、先ず第1段階では、共産主義者は他の勢力と「真の連合」を行い、次の段階では、非共産主義政党が傀儡と化し、共産主義者によって直接統制されない総ての勢力が政治生活から締出されるような「偽りの連合」そして、最後には共産主義者以外が全て排除され「一枚岩的な体制」となると言うものです。
セトン−ワトソンの区分は、その後も幾度となく引用されていますが、これは実際のソ連式も似たような形で推移しているので、あながち理由が無いものではありません。

厳密に言えば、ソ連に忠実な朝鮮半島北部の政治体制が共産主義的でなければならない必要は何もありません。
またそれは、第2次世界大戦後にソ連の統治下に入った総ての政治体制と同様、ソ連型モデルを可能な限り性格に模倣する必要も全くありませんでした。

しかし、実際にはソ連の体制は彼方此方で模倣される事になります。
第1に、占領地域でのソ連の政策を担当した軍人達にとって、ソ連型システムこそあり得るべき最高の体制であり、そしてそれが地球全体へと最終的に拡大する事こそ、人類の幸福への最も確実な方法と信じ切っていましたし、例え信じ切っていないにしろ、それに疑問を挟む事は政治的どころか身体的にも危険が伴っていました。
第2に、ソ連の軍事当局は、ソ連こそ理想と信じた現地での共産主義者の支持に基づく行動を基礎としていました。
彼らは総てのソヴィエト的な政治的・社会的制度こそが模範であり、批判は許されないのだという地元共産主義者の支持を得ていました。
特に、現地の共産主義者は、「法王自身よりもカトリック的である」と言って、ソ連側の担当者がやり過ぎと思える位に、モスクワの範例を熱心に模倣した訳です。

但し、朝鮮半島が他の地域と決定的に異なっていたのは、共産主義者の地位です。
欧州や満洲でのソヴィエト化は、かなりの地元共産主義者の支持を得て行う事が出来ました。
元々、これらの地域では組織された共産主義政党が以前から存在しており、更にこれらの地元共産主義者の中にはモスクワで多年の亡命生活を送った人々がおり、ソ連の政治サークルの中で一定の個人的立場を享受していた人々も又多かった訳です。

一方、朝鮮での共産主義的運動はかなり弱いものでした。
確かに1925年に朝鮮共産党は設立されたものの、強力でも無ければ結集力もなく、1928年には党指導者間での対立故にコミンテルンによって解散させられました。
朝鮮半島南部では、1930年代と40年代に幾つかの組織が地下活動を生き延びたものの、全般的に余りにも弱く、政治的意義は殆どありませんでした。
朝鮮半島北部は更に共産主義者の力が弱く、その影響は殆ど無視出来るものであり、クレムリンから一目置かれるような共産主義者は皆無でした。
その代わりになる人々もいませんでした。
右派民族主義者はより影響がありましたが、統一した政治勢力と言えるものでもありません。

こうした状況の為、ソ連当局は自らの政策目的の為に人為的な基盤を作らなければならなかったのです。
そうして人為的な基盤を作る一方で、地元で寄せ集めの共産党を作らなければならなかったし、同時に彼らの側に立ってくれる事を期待した地元民族主義者との合意を作る事も必要になってきました。

1945年の段階で、朝鮮半島北部で一般的に認められた民族主義者と言えば、「朝鮮のガンディー」と呼ばれだ晩植でした。
彼は1882年生まれで、儒教の伝統教育を受けたものの、間もなくキリスト教に改宗し、日本に留学して明治大学法学部を卒業します。
そして、故地に戻って平壌で学校の校長をしながら、民族主義に積極的な貢献を行っており、日本の植民地政策への非武装抵抗を支持していました。
1920年代には経済自立運動の指導者となり、一連の民族主義運動の指導者となりました。
特に、創氏改名に対する抵抗で朝鮮でも名を馳せています。

日本降伏の時点では彼は平壌の郊外にいましたが、降伏の報を受けるや否や直ちに平壌に引き返し、8月17日には「平安南道朝鮮独立準備委員会」を未だ機能していた日本の植民地当局の暗黙の了解の下で発足させます。
この委員会は、総務、公共秩序、宣伝、教育、経済、金融、日常生活、地方行政、渉外の9つの部から成っており、委員会には彼の他に約20名の民族主義者がおり、その内共産主義者は、総務部長の李周淵、宣伝部長の韓載徳、無任所の金洸鎮の3名でした。
この時期、朝鮮北部の共産主義者は地下活動に従事していましたが、この組織とは無縁でした。
著明な共産主義者であった、玄俊赫、金鎔範、朴正愛等は、朴がこの委員会と関係がそこそこ有ったものの、委員会には含まれていませんでした。

この様な状況で、意外にも平壌は民族主義的右派勢力の拠点であり、逆にソウルでは共産主義者が決定的とは言えないまでも相当影響力のある政治勢力となっていました。
尤も、この状況は瞬く間に変わる事になりますが…。

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