キョンシーの正体見たり…

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キョンシーと言えば、1980年代に一世を風靡した中華のゾンビ物語だったりするのですが、漢字では「僵屍」または、「殭屍」と書きます。
何れも意味は、硬直した死体で、埋葬以前の新しい死体と埋葬されてしまった死体の二種類があり、何れもムックリ起き上がって、人を襲います。
その切っ掛けは、死体が生きた人間の生気に触れる、近くを妊婦や戌年生まれが通る、猫に触れられたり跳越えられたり、遺族の涙など水がかかると、やおら死体は飛び起きて、「走屍」となり「走影」となって人間を襲うと言われています。

キョンシーの出現は、宋代以降で地域的には江南が中心とされています。
当時ではないにしろ、清代にも「停棺不葬」や「運棺」と呼ばれる風習…と言うか習慣と言うかがありました。

「停棺不葬」と言うのは、葬儀費用が貯まるまで屍体を棺に入れたまま放置し、其の儘何十年も過ぎ去る、つまり、葬式は家の格を表すものですから、簡単に済ませる事が出来ず、かと言って簡単に済ませようとしたら、周囲から葬儀を邪魔され…となって、遂には棺を埋葬する、葬式そのものを諦める事がありました。
また、昨日の日記でも触れたように、風水が非常に重要で、風水的に埋葬に適した土地が確保出来なかった、或いは、風水的に葬儀を出す日が子孫繁栄を齎す日となる事をひたすら待っているとか言う事をしていて、遂には一族が死に絶えてしまったとか言う話があって、清朝末期には其所彼所に屍体の入った棺が打捨てられていたり、棺が朽ちて屍体がそこら辺に転がっていたりと言う事が有った様です。

「運棺」と言うのは文字通り棺を運ぶと言うものです。
華僑や辺境の地で死んだ人々は、死後、その身を中原の地に葬る事を望みます。
華僑で、本土に葬られなかった人は、墳墓を造営する際、故郷の方に頭部を向ける様にして造るそうです。
1930年代までは、移民などで客死した場合は、一旦その地に埋葬しますが、何年かに1度、墓地から掘り出されて骨をきれいに洗い、箱に詰めて船で本国に送る事になっていました。
勿論、成功した華僑だと一族が運賃を負担しますが、それ以外の貧乏人は、みんなが金を出し合って本国に送還するようにしていました。

日本でも1872年に横浜や神戸で華僑専用の墓地用地が貸与されていますが、3~8年に1度の割合で墓から掘り出して、故郷に棺が運ばれており、それは1923年に運棺制度が中止されるまで続きました。
以後は、共同墓地に埋葬されるか、墓地内の安置所に収められるようになっています。

本土でも中国は広い。
この為、故郷から遠く離れて客死した人は、お金がなければ、故郷を同じくする人たちがお金を出し合って運営する同郷会館、姓を同じくする人たちがお金を出し合って運営する宗親会館、同業者たちがお金を出し合って運営する同業会館と言った相互扶助組織の会館に遺体を預ける事が出来ました。
この会館は墓地も運営しており、風水で言う蔵風得水の地に共同墓地を構えています。

成功者たちは、共同墓地に入れるよりも、故郷に屍体を運んで、そこの墓地に埋葬する事を望みました。
「包運霊柩」とか「包拉霊柩」と呼ばれる業者は、それを専門に行うものでした。
因みに、棺は、戦前中国にあった軍閥毎の関所などは全くノーチェックでした。
この為、棺に死体と共に、アヘンなどの麻薬、武器、金塊、貴金属を運ぶ密輸も多く行われた様です。

満州で客死した中原出身者が、故郷に死体を持ち帰る場合、山東省から来る業者が多くいました。
元々、満州に渡る華人には、山東省出身者が多かったのも一因です。
彼等は毎年9月頃に満州に入り、満州各地で運棺依頼者から注文を受け、営口や安東でジャンクに船積みして黄海を渡るスケジュールで動いていました。
とは言え、中にはお金が工面出来なくて渡し場で2~3年過ごす棺も多かった様です。

さて、多くの場合、こうした運棺は文字通り棺を運ぶ訳ですが、中には遺体をむき出しのまま運ぶケースもありました。
これは、趕屍人と言われる死体運搬のプロが大金で請負い、故郷に運ぶものです。
どの様にして運ぶかと言えば、立たせたままの死体の両脇に天秤棒を通し、2人1組で前後を挟んで走り去ると言うもの。
昼間は旅館に寝て、夜になると起き、身支度を調えて旅館の店先に立ちます。
彼等の目印は黒猫を連れていることでした。
その黒猫が、死者の回りをぐるりと回ります。
これを「過電」と言い、それが終わると2人は足踏みして呼吸を整え、一声ホーホーホーと上げて走り出すと言うもので、声低くホーホーホーッと呼ばわりながら闇夜を駆け抜けていきます。

こうした仕事は、清代の頃までかと言えば、然に非ず。
1949年と言いますから、共産党政権が誕生した頃には、江西省から四川省まで、この方法で運ばれた死体があったそうです。
運搬に要した時間は、僅か1週間で、到着した時、死体はまるで、「生けるが如く」だったとか。

因みに、この死体運搬人、2人1組が原則だそうですが、1人と1体と言う凄まじい例も1949年の年末、四川省で目撃されています。
運搬人の服装は、短いズボンに袖の短いシャツ。
死体の頭には草で編んだ大きな帽子、首から下は黒くて長い中国服ですっぽり覆われ、こちらは昼間に行動していたそうです。
旅館に飛び込むや否や、「喜神打店」と呼ばわり、大金で宿泊します。
そして、食べ物は2人分。
翌朝は誰よりも早く起きて、目的地に向けて出発していったとか。

つまり、キョンシーと言うのは、趕屍人が運ぶ死体の姿を見た人が作り出したものと考えられます。
猫の存在は、趕屍人の目印でもありましたし、趕屍人が2人とも黒い装束を着ていたとすれば、闇夜でその姿を見れば、死体が自然に動いているように見えますし、天秤棒を前後に差し渡し、両肩で支えて死体を2人で支えて動かないように天秤棒で固定したとすれば、両手をまっすぐ前に突き出して跳ねるキョンシーそのものの姿です。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と言う俳句がありますが、そのキョンシーは死体そのものであるところは、グロテスクなものがあったりします。

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