港々に中華丼

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モノが命の次に大事だと言う人は不幸じゃないかと思いますねぇ。
いつも、それが傷つかないか、びくびくしながら生活しなきゃいけない。
これで、10円玉とかで傷をギ~~~~~~~っとか付けられたら発狂するんではないだろうか。
結構ストレスが掛かるでしょうし、本人は満足でしょうが、周りの人間は不幸ですわな。

本とかだと、少々傷が付こうが、頁が破れようが、読めれば良いのですけどね。
とは言え、それが無くなってしまうと発狂するかも知れませんから、人のこと言えません。
あ、五十歩百歩か…。

明治維新になると、西洋風の生活様式が国民生活の中に入り込んで、和洋折衷の食べ物が多く出て来ます。
牛鍋とかカツレツとかそんなものですかね。

戦後、飛行機が発達して、精々1~2日で地球の果てまで行ける様になる迄、船と言うのは人々の重要な移動手段でした。
船での移動は、幾ら頑張っても商船だと精々10kts/h前後の速度しか出ません。
従って、客船の衣食住は、一つの国の文化を体現していました。

当時の日本の西洋料理界の流れは、大きく2つに分かれており、片や帝国ホテル式、片や郵船式とされていました。

昭和初期、横浜からシアトルまでは氷川丸で11日、横浜からホノルル経由でサンフランシスコまでは浅間丸で13日、欧州航路だと神戸からマルセイユまで照國丸で33日を要しました。
この間、気候や自然環境は様々に変り、海象も時化の日もあれば凪の日もあります。
しかも、港と港の間、同じ顔ぶれで食事をします。
更に、アジア圏、インド圏、欧州圏、北米圏には、様々な人種がおり、様々な宗教があり、それによって食事やその習慣も異なります。
客船でのもてなしと言うのは、様々な条件に制約されて作り出されたサービスです。

一方、ホテルの場合は余程特別な場合がない限り、客の方が毎日代わります。
更にホテルを一歩出れば、様々な料理店もありますから、別にそのホテルに拘る必要がありません。
極端な話、ホテルの食事は、毎日同じものであっても良い訳です。

日本郵船の厨房の場合、1885年の創業当時より、各船の司厨長以下料理人、給仕は、実は日本人ではありませんでした。
数人のインド人を除けば、殆どが中国人でした。
しかし、1894年の日清戦争勃発に伴い、中国人は敵性外国人として解雇され、その後釜に日本人が充当されました。
ところが、1896年にボンベイ航路に続き、欧州・北米・豪州の三大航路を開設すると、瞬く間に洋食料理の心得のある日本人は払底します。
斯くして、再び中国人料理人を雇い入れ、大半が中国人となってしまいました。

日本郵船が日本人の洋食料理人や給仕人の要請に着手したのは、1900年、北支事変(義和団事件)が勃発し、再び中国人を解雇せざるを得なくなってからです。
この時に解雇された中国人達は殆どが再び流れていったと思われますが、一部は古くからの港町に居着き、料理店を開業しています。
そう言った料理店の幾つかでは、当時の日本郵船の船のメニューを残していると言われています。

1903年、日本郵船は、洋食料理人養成の為、英国より司厨教師(マッキュー氏)を始め、フランス料理のシェフ、パン職人などを招聘して、貨客船に配乗し、実地で日本人コックの指導を行いました。
また、日本人料理人(斎藤清方氏)とパン職人(高津芳松氏)をロンドンに派遣して西洋料理の技術を習得させ、帰国と共に両人を教師に任命して、日本人洋食料理人の養成に従事させました。

大正時代の好況時には、航路や船舶が更に増加、料理人や給仕が更に必要となった為、1916年に日本郵船横浜支店内に洋食料理人と給仕の養成所を設立し、同時に大勢の料理人やパン職人を技術習得の為欧米に派遣して、帰国後は洋食料理人の養成に当らせました。
この養成所は、1923年の関東大震災で倒壊し、一時養成は中断しましたが、翌年には早くも仮支店内で再開されています。

1936年になると、横浜支店を新築する際に養成施設を拡大し、ロンドンからアルザス出身のフランス人料理人ポール・ボウティジェ氏を高給で招聘し、養成所での指導に当らせました。
なお、ボウティジェ氏は1939年に帰国しましたが、その後の消息は不明になっているそうです。

サービスで思い出しましたが、かの喜劇王チャップリンは、大西洋の豪華客船の雰囲気が大嫌いで、欧州からハリウッドに帰る際には、わざわざ諏訪丸から照國丸に乗り継いでいました。
その際、物静かで家庭的なサービスを気に入った彼は、来日してから、帰国の足として際に氷川丸に乗ることにしたと言われています。

日本郵船は、喜劇王の大好物は、日本橋「花長」で食べた天麩羅だと聞いて、わざわざ料理人を「花長」に見習いに出し、横浜から氷川丸で米国に帰るチャップリンに対し、ルームサービスでその「花長」仕込みの天麩羅を出して大喜びされたと言うエピソードがありました。

最初は運航も含めて、食事までも外国人におんぶに抱っこだった訳ですが、この頃になると漸く日本独自の客船文化が花開いたと言えるのではないでしょうか。

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