危険な空

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今日は悲喜交々の日でした。
緒方拳さんがお亡くなりになり、日本人で久々にノーベル物理学賞の受賞が決まったり、株価が下がったり…。
でも、悲報の方が未だ上回っていますね。

1939年9月、第二次大戦が勃発すると、欧州各国の民間航空は影響を受けます。
ポーランドのLOTは祖国占領で消滅し、1940年には低地諸国の占領に伴い、此の国々の民間航空も停止し、最終的に連合国では、英国のインペリアル・エアウェイズと、オランダのKLMくらいしかまともに運航している会社は有りませんし、後は中立国スウェーデンのABA(今のSAS)、ソ連のアエロフロートくらいしか残っていません。

とは言え、KLMは本国が占領された為、カリブ海諸島と蘭領ギアナの極限られた路線と、唯一残された主要拠点である蘭印を結ぶアムステルダム~バタヴィア線は、路線を縮小してパレスチナのリッダ発になり、後に太平洋戦争で蘭印が陥落すると、機材は豪州に待避した為、結局はカリブ海路線しか残っていません。
また、インペリアル・エアウェイズの路線も、本国とインド、豪州、香港を結ぶ路線は、地中海にあるイタリアが枢軸国側で参戦し、フランスも陥落した為、本国から地中海を突っ切ってエジプトに行く空路が取れず、ロンドンから一路南下してマデイラ諸島経由、西アフリカの英国領土を経由し、南アフリカのダーバンまで行って、ケニアやタンガニーカを経由してアデンまで遠回りし、其処からインド洋を横断してインド、そして、インドから長躯南下して豪州へと向かう、所謂"Horseshoe"(馬蹄)ルートで、英国にとっての金城湯池であるインド帝国や豪州との連絡を保った訳です。

万一、南アフリカが枢軸国側に立って参戦していたら、偉いことになっていたでしょうね。

さて、ABAの路線は…と言えば、ストックホルム~リガ~モスクワ…は運休、ストックホルム~マルメ~コペンハーゲン~アムステルダム~パリ…も運休中、ストックホルム~アバ~ヘルシンキ~タリン、勿論運休。
まぁ、ストックホルム~ベルリン~チューリッヒ便は一応運航されていた様ですが…。
後、もう一つ運航されていた路線は、ストックホルム~ロンドン(実際はルーカス空軍基地)でした。
勿論、こんな危険な空路、時刻表には載っけていませんが、乗客は35ポンド、急行貨物便はキロ当り10ポンドほどの値段だったようです。

使用機材はABAの機体はJu-52/3mとDC-3ですが、勿論、こんなのにJu-52/3mなんか使っていたらロンドン上空に入る前に撃墜されてしまいますから、DC-3を用いていました。
しかし、機体には"SWEDEN"と大書し、尾翼にもスウェーデン国旗を大きく描いていたのですが、1943年8月27日、スコットランドからスウェーデンに向かっていたDC-3"Gladan"号は北海でドイツ軍戦闘機に撃墜され、搭乗者7名が死亡していますし、10月22日にも同様にDC-3が撃墜されて、搭乗者13名が死亡しています。

その英国が喉から手が出るほど欲しかったのが、スウェーデンのベアリングだったりします。
ですから、1943年から英国もABAとは別にBOACによってスウェーデンとの路線を開設しました。
その使用機材は、英国の誇る木製爆撃機Mosquitoで、爆弾倉部分を改造して便乗者1名と貨物を搭載出来るようにしていました。
敵機に追いかけられても、高速性を利して逃げるのがコンセプトだったりする訳で、英国軍用迷彩に赤白青の三色を胴体に描き、ユニオンジャックを尾翼に描いた民間登録記号付きの機体が、行きは便乗者と新聞、雑誌などを登載し、帰りはスウェーデン製ボールベアリングを積んで、せっせと英国とスウェーデンの間を往復していました。

勿論、スパイなんかに監視されるケースもあって、屡々撃墜された様です。

ついでに、スイスもそうですが、スウェーデンも両陣営の爆撃機が迷い込んだら、すかさず迎撃して自国に抑留させていました。
尤も、ドイツ全盛期にJu-88だかを抑留したら、哨戒飛行中の虎の子Ju-86Kを空中で逮捕されて、這々の体で返却したと言うヘタレなエピソードもあったりしますが。
中でも、B-17は使い出のあった爆撃機だったみたいで、改造されてスウェーデン空軍の輸送機として利用されていたりします。

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