えべっさん

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そう言えば、先週はえべっさんだったんですね。
最近、すっかり忘れていました。

毎年、西宮神社では十日戎の日に福男を決めるのがニュースになり、毎年各地から短距離走に自信のある人がわんさか押し寄せていたりする訳で…。
今年の福男選びの時は、可哀想に、本殿直前で滑って転んで、3位になったかならなかったかみたいで、こう言った時、神職もお祝いして良いのか、笑ってもいかんだろうし、緊張感を保つのに苦労したでしょうね。

「えびす」と言えば、色々な文字が充てられます。
恵比須だったり、恵比寿だったり、夷、戎、蛭子、胡、蝦夷…実に様々ですが、実は古典にこの神様の名前はありません。
「えびす」が神名として文献に現われるのは、平安時代後期の天養から治承年間に著された『色葉字類抄』の中の「夷(毘沙門、エビス)」です。
この時のエビスは、未だ福神信仰思想が無い時期のものであると推定され、恵比寿や恵比須の様な福々しい表現ではなく、本地仏を毘沙門天とするくらいの恐ろしい神で、この時代から少し下った承元から貞応年間に著された『諸社禁忌』にも、衣毘須不動と書かれて居ることからも、同じく不動尊を本地とする神徳を持つものと信仰されていた訳です。

即ち、エビス神本来の姿は、あの福々しいお顔を持つ優しそうな神様ではなく、実は威力ある荒々しい神の意を籠めた威厳に満ちた姿だったのであり、実際に、時を遡るに従って、エビス神像は荒々しい感じのものになっています。
ところが、古典を徴してもその記載が無いことから、鎌倉時代になると、エビスはヒルコ(蛭子)の事であると言う説が台頭し、『神皇正統記』や『源平盛衰記』ではこの説を採る様になってきます。
これは、エビス神が海辺に出現されたからであると言う伝承から類推して、伊弉諾尊、伊弉冉尊が蛭子を産んだ時、アメノイワクス船に乗せられて海原に流されたと言う神話がある事から、この海に離された神がエビスだろうと推論したからで、寄神信仰をその基礎として心象したことからの説だそうです。

しかし、一方ではエビス神の神影像から思考して、水子に類する蛭子では納得し得ないと言う考えと、エビス・ダイコクと併称する福神信仰思想の流布とが相まって、古典に語られている出雲国国譲神話から大国主命、事代主命の神縁並びに事代主命が漁猟をしていたと言う故事に基づき、エビス神は事代主命であると言う説が立てられ、其の方が説明がつきやすいとして、おおかたに受容れられて今日に至っています。

よって、元々は一言主神の信仰から事代主命を奉祀していた神社も、後世エビス神を祀ると言う形に切り替える様になります。

更に、明治維新の神仏分離の際、それまで夷神、蛭子命と称していた神社も、国学一派の神道理念からすると、戎・夷・胡・蛭子と言う漢字を当てることは、神格を不当に軽視し、或いは異端視するものであると言う見方が強まり、神名を事代主命と書き改める例が続出したりしています。

意外にえべっさんと言うのは、中世から近世に掛けて出現した神だったりします。

で、えべっさんの本家は、大阪の今宮戎神社か西宮にある西宮神社かと言う事が、良く言われています。
先ほどの蛭子信仰で色々あったりするので、どちらが本家かは実は言えないのではないかとはされています。

大阪の今宮戎神社は、旧郷社(神社の格の一つで、府県社より下、村社より上)で、祭神は天照坐皇大御神、事代主命、素戔嗚尊、月読命、稚日女命です。
この神社は、記録に因れば、1274年正月25日に出納造東大寺判官東市正中臣朝臣の御牒に御厨子所が設置され、宮中への鮮魚奉献を行ったと言うものがあります。
この御役は南北朝時代に中絶しましたが、1557年に綸旨を賜り、以後江戸時代には毎年正月に宮中へ鮮魚を奉献していました。
この由緒により、京都八坂神社で行われる祇園祭には毎年駕籠丁を奉仕することとなり、京都所司代の代替わり毎に下知状を受領しています。

この社殿のあった地には漁民が多く、浜の市が開かれていたことから、市神としての信仰が広まり、市場鎮護、商業繁栄の守護神となり、神仏分離が行われるまでは、四天王寺西門浜の市とも結ばれて、9月の祭礼の際には、御輿が四天王寺東西門を渡御する事になっていました。
因みに、この今宮戎神社の北隣には広田神社が奉齋されていたりします。

広田神社と言うのは実は西宮にある旧官幣大社で、今宮戎神社よりは社格がぐんと上の神社です。
神功皇后が外征から凱旋した際、務古の水門(西宮武庫川河口)に達した時、天照大神のお告げがあり、天照大神を西宮の広田に置けと言う事で作られたのが広田神社です。
806年に神封41戸が献ぜられ、850年に従五位下になったのを皮切りに、868年には従一位まで叙せられ、『延喜式神名帳』には名神大社に登載され、同時に境外摂社の名次神社も同列となっています。
また、広田神社は畿内で特に崇敬を受けた22社の1社で、屡々奉幣勅使の派遣がありました。

で、西宮神社は、と言えば、今宮戎神社よりも社格が1つ上の旧県社です。
西宮大神(蛭子神)を主神に、大国主大神、須佐之男大神を祀っています。
これも、歴史が古い神社で、平安時代にはこの地に鎮座しており、『色葉字類抄』にも高倉上皇の奉幣、後奈良天皇の御寄進があるほか、広田神社の神縁により、神祇官長官である白川伯王家との関係が深く、常にその参詣を得ていた事が伯家文書に記されています。

蛭子神が主神になったのは、中世以来のことで、蛭子神を福徳の神とする信仰が広まるにつれ、大漁満足・海上安全・商売繁盛に霊験在りとされて全国に広まっていきます。
こうした広まりは、神社の社人として境内の北隣に居住していた「傀儡師」達がえびす神の人形操りを行って、全国津々浦々に巡回していった事が大きな要因となっており、人形繰りの祖神である百太夫神も境内に祀られています。

今宮戎神社の社殿は、豊臣秀頼の勧請で建設されたもので、片桐且元が奉行となって為されたものでしたが、西宮神社の方は、徳川家綱の寄進で本殿が再建されました。
これを契機に、全国各地に頒布されていた恵比須神の神像画札の版権を徳川幕府から得、更に懐が温かくなったりします。

今は今宮戎神社の方が商売上手ですが、昔は西宮神社の方が商売上手だったんですね。

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