岩おこし、粟おこし、よぉおこし!

画像

今日は参りました。
朝っぱらから乗入れ路線が信号故障でダイヤが大幅に乱れ、おまけに雨でバスも遅れ、代替線に着いたら、こちらもお客様混雑で、やれやれやっと座れたわい、と思ったら、隣の番線に停車している電車が先発となったり。
久々に、会議に遅れてしまいました…まぁ、5分ほどですが…。

ちょっと早い目に会議が終わったのですが、昼休みにサーバのメンテナンス作業があって、それをこなして飯も食わずに移動し、某ヲタクの聖地へ…。
まぁ、とあるセミナーに出席しただけなのですが、貧乏な会社向けのセミナーにしては、思いっきりハイスペックな仮想サーバとか仮想テープドライブなんかの話をされても、多分投資額は8桁以上の話でしょう。
それは、貧乏会社にとっては猫に小判だと思うですよ。
その点、某ファイアウォールメーカーとか、某ウィルス検知ソフトメーカーの話はリーズナブルな6桁程度のお値段の話で、ちょっと聞いてみようか、と思ってみたりして…。
それなりに、お仕事に色々参考になる話が一杯聞けましたし、ちょっと気楽になりましたね(謎。

てな訳で、今日も雑記をうだうだと…。

私は兵庫県南部出身なので、余りお土産に頭を悩ます事は無かったりします。
神戸だとチョコレートとかお洒落な御菓子、西宮・芦屋も洋菓子の一流店が揃っていますからね。
しかし、大阪の場合は思い浮かびません。
出張で大阪に行っても(まぁ、最近は行く機会がありませんが)、職場の皆様向けに土産をチョイスする際、駅や空港の売店では、ついつい神戸土産を買ってしまいます。
何せ、大阪土産って、551の肉まん、アイスキャンデーか、粟おこししか思い浮かばなかったり。

大阪土産に何故おこしが入っているのかは、実は謎だったりします。
一説には、太宰府に流される菅原道真が、大坂に立ち寄った際、土地の人におこしを献上されたのを喜んで、お礼に自身の紋である「梅鉢」を与えたと言う説があります。
実際に、おこしを売っている店は何処も梅鉢が描かれています。
江戸の頃なら、土佐堀沿いの蔵屋敷で、米や粟の砕けたものが安く手に入ったから沢山作られたのだ、とか、工事する度に大きな岩がゴロゴロ出て来るので、「大坂の掘り起こし、岩起こし」と言って売り出したからとか…まぁ、適当な説ばかりで、これはっ!と言う説がありません。

江戸末期の『大坂名物あじひものや玉相撲』と言う番付には、大関は高麗橋の「虎屋饅頭」(東京の羊羹屋である虎屋は京都が発祥)、新町の「砂場蕎麦」、関脇は高津大清の「湯豆腐」と道頓堀川平の「奈良茶飯」を始めとして、以下、鰻、河豚、鼈、焼貝、茶巾、田楽、蒲鉾、芋鮹、寿司、饂飩、赤飯、麦飯、善哉、菓子では饅頭、岩おこし、胡桃餅、飴餅、カステラが続きます。
因みに、大坂の虎屋大和大掾藤原伊織は、元禄時代に全盛を極めていた和菓子屋で、その流れを引くものが1863年に創業した鶴屋八幡になって現在にその味が伝わっていますし、8割方は今でも大阪名物として健在です。

江戸時代に書かれた『街能噂』と言う本では、江戸者が大坂の料亭で新鮮な鯛の刺身に舌鼓を打った後、勘定書を見て、「コリャァ馬鹿馬鹿しく安い、よもや間違いじゃあるめい」などと吃驚したと書かれて居る位で、意外に物価も安かった事が伺えます。

魚では鱧も良く食卓に上りますね。

そう言えば、蒲鉾と言うのも各地方で作られているものです。

関東で蒲鉾と言えば小田原蒲鉾ですが、これは後北条家の時代から江戸時代中期にかけて成立したもの。
小田原沖で獲れる沖鱚を主体に、伊佐木、ムツ、梭魚、太刀魚などの白身魚の魚肉を磨り潰して塩で味付けし、棒に巻いて表面を焼いたもので、最初は棒巻きと呼ばれていましたが、一種の竹輪みたいなものだったようです。
幕末頃に板に擂身を盛りつける形になり、また焼きに変わって蒸し板蒲鉾になって行きました。
関東では蒸し板蒲鉾が主流であり、色が白く、弾力が強いのが好まれます。

関西では、明石が発祥と成った焼き板蒲鉾が主流で、色、形よりも味の良いのが好まれます。
原料は、瀬戸内海で獲れる鱧が最高とされています。
普及品は、鱧だけではなく、グチ、ニベなどの多種類の魚肉が使われ、蒸してから焼きます。
高級品は、鱧を主体に、板付後、塩分を少し強くしたシログチの肉で上塗りを掛け、蒸しのない焼き抜きのみで仕上げます。
関西の蒲鉾は、板の両端を少し残して肉付けしていますが、これは手焼きの時代に板の両端を炉に掛け渡して肉面を焼いた名残です。
焼き抜きの際は、板面から焼いて、その後裏返して肉面を焼くので、板が焦げているのが高級品の証とか。

因みに、この蒲鉾の廃物利用が「鱧の皮」。
身を取った皮の部分を棄てずに酢の物にした始末の文化の一つです。

始末の文化と言えば、ミナミにある「はり重」の牛肉の佃煮もその産物。
和牛専門レストランとして有名な「はり重」ですが、実は肉は近江牛とか神戸牛、松阪牛と言ったブランド物ではなく、国産特選牛肉を使用しています。
名よりも実を取る大阪商人らしいやり方ですが、牛肉の佃煮は、ステーキやすき焼きの肉の端切れを有効活用する為に生まれた品物。
「始末」と言えば、使い回しがバレて廃業した「船場吉兆」の様に、単なるケチと捉える向きもありますが、実は、この「始末」と言う言葉、本来の意味は、良い素材だから余すところなく使い切り、少しでも値段を安く提供しようと言う心意気を表わした言葉です。

さて、キリスト教の修道院ではチーズやバターを作り、それを売って生活の足しにしているところが多かったりしますが、大阪にも同じ様なものがありました。
関東の桜餅は「長命寺」だそうで、クレープ状のものですが、対する関西の桜餅は蒸して餡を包んだ「道明寺」と呼ばれるもの。
道明寺と言うのは、菅原道真が手ずから刻んだと言われる十一面観世音菩薩を本尊とする古義真言宗の尼寺で、此処に道真の伯母が住んでおり、太宰府に流された道真を案じて陰膳を供えていましたが、このお下がりを頂くと病気が治ると評判になり、希望者が多くなるに連れて出来たのが、道明寺糒と言うもので、これを蒸したのが「道明寺」になるそうな。
湿気の少ない寒中に、糯米を2日間水に漬け、蒸し上げた後10日間屋内で乾燥し、20日ほど天日で干してから石臼に掛けて仕上げるもので、これをお寺で作った二枚重ねの和紙の袋に棒で突きながら詰めるのを尼僧がやっていたそうで、今でこそ、粉の生産は出入り業者が行っていますが、袋の製作と、袋詰めの作業は現在でも尼さんたちが行っているそうです。

「合鴨」と言う言葉も大阪発祥だそうです。
実は鴨は大阪の特産だったらしく、天神祭に家鴨のすき焼きを食べる風習は、江戸の土用丑の日の鰻と対比されるくらいのものだったとか。
1965年まで、、大阪の城東区を中心に、30万羽を飼育していたそうですが、これらの家鴨は、河内でも飼われていました。
湿地帯の多かった河内で飼われていた家鴨は、泥田家鴨、略して「どたびる」と称されていたそうです。
流石にこれでは、ネーミングが悪いと改称したのが1940年代末から50年代初頭に掛けてで、以後、合鴨が人口に膾炙していき、遂には広辞苑に載るくらいになりました。
因みに、大阪の家鴨は1975年以降、海外からの輸入肉に押され、大半が廃業してしまいました。

あと、意外ですがソースも大阪名物の一つです。
商品化そのものは関東の醤油会社でしたが、これが失敗して直ぐに撤退した後、1894年に大阪の越後屋が「三ツ矢ソース」、1896年に大阪の木村幸次郎が「錨印ソース」(現在のイカリソース)を生産し始め、その後、大阪や兵庫など関西でソース作りが始まり、1900年代に全国に広がっていきました。
そう言えば、阪急百貨店屋上の食堂で有名なメニューが、「ソーライス」と言う、ライスだけを注文し、その上にソースを掛けて食べると言うのが人気を博した事がありました。

こうして見ると、結構大阪にも名物は沢山ありますなぁ。
…あ、今日のソースは、『大阪名物』(創元社)から引用させて頂きました。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのトラックバック