眠い人の植民地日記

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zoom RSS 日光を見ずんば結構と言う勿れ

<<   作成日時 : 2012/09/16 22:55   >>

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そんな訳で、行って来ましたよ日光へ。
どうせ、東武特急は席が取れないのが判っていたので、これは捨てて、八王子発の臨時特急八王子日光号を選択しました。
こちらは見事に席が空いていました。

大宮から乗車したのですが、これ中古車なんですよね。
先代の成田エクスプレスが後継車の投入で余剰となったのですが、4両編成は長野電鉄に引き取られ、引き続きほぼ中味変わらないまま、特急電車として使用されています。
で、6両編成の方は、丁度その頃、国鉄時代に製作した485系が寿命を迎えたので、これ幸いと白羽の矢が立ってみたり。
以前の車輌は、特急にも関わらず固定クロスシートと、これで特急料金、しかも全車グリーン料金を取ってるんじゃねぇ!と言う程の代物だったのですが、改造した際に回転クロスシートとなり、しかも、フリーストップリクライニングとなっているではありませんか。

しかも、固定クロスシートを撤去した跡に回転クロスシートを入れたので、意外にも座席ピッチが大きめで、海外からの旅行客にも足下のクリアランスが充分余裕のある状況だったり。
これは、改造車としてもグッドな部類では無いでしょうか。
ただ、座席を確保するために、一部デッキが狭められて戸袋窓が剥き出しだったり、臨時特急だったからか、中のLEDが全く機能していなかったりと言った粗は見えたものの、近来の改造車では出色の出来に思えます。

大宮からJR東北線を北上し、栗橋駅で運転停車してJRと東武の乗員が交替。
東武のレールに入る際に、一瞬空調と電気が切れるのは、デッドセクションがあるからなのでしょうね。
交直流の切替ポイントでも無いのに、デッドセクションとはちと意外でした。

そして、東武日光線に入ると、新栃木や下今市と言った主要駅にしか止まらず、すいすいと日光に到着しました。

日光からは、バスで中禅寺湖に行こうと思いましたが、途中の渋滞に気分が萎えて方針変更!
中禅寺湖は又今度と言う事で、大猷院をお参りして、二荒山神社を詣でて、日光東照宮に入ってからの、輪王寺に抜けるというコース。

てことで出発進行!
相変わらず、バスはノロノロと進みます。
道路の拡幅が出来ないから仕方ないとは思うのですが、自家用車の侵入が一番の原因では無いでしょうか。
折角世界遺産になったのですから、いっその事、下今市辺りに大きな駐車場を設けて、そこから電車かバスで乗客を運ぶ様にすれば良いような気もしますが…。
まぁ、この国では自家用車持っている人がヒエラルキーの一番上ですからねぇ。

そんなこんなで大猷院。
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如何にも家光好みの贅を凝らした派手派手しい建物が一杯です。
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丁度最近は、若狭酒井家が寄進した五重塔の公開もしていましたが、お金が要ったのでパス。
まぁ、これに限らず、何処も金金金でしたね。
大猷院本堂では、有り難いご説明を聞いた後、破魔矢の宣伝を聴かされたりして。
最近、寂しかろうと言う事で、東京から秀忠とお江の方の位牌を取り寄せ、親子一緒に並べたそうですが、そもそも、家光って秀忠を嫌ってませんでしたっけ?
そんなのを並べたら、却って迷惑じゃないのかなぁと思うのは私だけでしょうか。
因みに、天蓋は、前田家第3代当主の嫁で秀忠の次女である子々姫の寄進らしいですが、この天蓋の下で一生懸命拝む将軍家に、不謹慎ですが却っておかしみが湧いてきました。

大猷院を出て、二荒山神社に参ったのですが、ここも現在平成の修理中。
この様に、今はあらゆる場所が修理中となっていて、全体を見通すのはちょっと残念でした。

さて、やって来ました東照宮。
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厩役人の詰め所には、有名な日光の三猿が鎮座ましましております。
以前にも触れましたが、元々、本来の家康の廟所は久能山であり、家康もそこで西方に睨みをきかせることを望んでいたのですが、戦国の遺風を引き摺っている頃、そして、天海僧正と藤堂高虎、本多正信を中心とする家康恩顧派が、徳川家の世襲を安泰にするため、また秀忠派である吏僚派に対し自らの地位を確立するために、家康の遺言と称して作り上げたのがこの日光東照宮です。
そう言う目で見ると、この三猿にも意味深なものがありそうな気がするのですが。

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これまた本堂は修理中で残念だねぇ。
仕方ないので、眠り猫を見に行きます。
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手水場は鍋島家の寄進だそうで。
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山門には後水尾天皇の宸筆の額が掲げられ、色取り取りの彫刻が施されています。
いや、正に結構です。
てことで、眠り猫。
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そこから奥の院に上がる予定だったのですが、大混雑の上、全然進まず、何時になるか判らないので撤退しました。
これが功を奏します。
此の後から雨がしとしと降ってきましたから。
その後、輪王寺薬師堂の鳴き竜を見ましたが、江戸時代、特に音響学とかが無い時代に、どうやってこう言う仕掛けを考えたのか、非常に不思議なものでした。
何しろ、中心から離れて拍子木を打っても残響が響かず、龍頭の真下で拍子木を打つと、澄んだ音色が反響するのですから…。
これを考えた人はオーパツーじゃないでしょうか(ぉぃ。

それから輪王寺を見て(これも大修理中!)、一端撤退して途中の蕎麦屋で昼飯を食べ、バスに再び乗って、田母沢へ。
いや、田母神じゃないったら。
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此所には、大正天皇が夏の間行在所として用い、体調を崩された後は葉山御用邸でお亡くなりになられる直前まで、ずっとこの地で静養された田母沢御用邸があります。
以前は一般公開されていなかったのですが、ここ最近は公開されているらしく、室内を色々と見ることも可能でしたし、大正天皇や皇后の謁見の間、機密の会議を開く間、寝室までも見せてくれました。
丁度、おじさんの説明が開かれる時だったので、これ幸いと参加したのですが、余りの部屋の広さに、途中で根負けして諦めました。
何しろ、部屋数106、その中には元々この地に別荘を構えていた小林家の住宅があったり、明治天皇が一時仮御所とされていた紀州家中屋敷の建物があったり、その後、赤坂離宮となった際に増築された部分があったり、この地に移設された明治期に増築された部分、ご成婚後の増築、それに大正期の増築と、彼方此方が増築を繰り返して迷路になっていますから。
しかも、当時、日本が昇竜の勢いで国力が増大していた頃なので、至る所に最高級の建築技術が用いられていて、贅を凝らしたものになっています。
とは言え、成金的趣味ではなく、質素を旨とした天皇家らしく、作りに贅は凝らしていますが、家光のようなきんきらきんではありません。

そう言う意味では、日本の顔として表向き支配した将軍家と、実質上の国家元首として支配した天皇家の考え方が建物にそのまま現れたような旅でした。

で、帰りも八王子日光号で帰ってきたので、余り鉄分は補給出来ず。
でも、レア車の野岩鉄道の電車を撮れたので良しとします。
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いや〜それにしても、蒸し暑く、熱中症になったみたいな感じですねぇ。



皇海山と足尾山塊
白山書房
増田 宏

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