首のすげ替え

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今日は雨がぱらついた分、昨日よりマシかも知れません。
流石に今日は出掛ける気にならず、家に籠もって写真の整理をしていたのですが、途中でDVDを見たり何だかなんだやっていたので、余り進まず、昨日の戦果まで辿り着かず…やっと1ヶ月前の羽田が終わりそうな状況に至っただけです。

ついでに階段に埃が溜まっているのが気になったので、掃除機を掛けようとしたのですが日中は断念。
日が落ちてから風呂に入る前に一気に掛けてみたり。
途中でフィルタの掃除ランプがついたりして些か挫けかけましたが。

そして、明日はまた朝から昼過ぎまで成田に出掛けるので、更に写真が増える訳で。
まぁ、昨日よりも気温が下がる予定なので助かりますが。

ところで、大宮血迷ったか?5連敗しただけでいつもの指定の場所でなく4位に付けているというのに、監督を解任だと??
きちんと敗因を分析したのだろうか?
GMが監督代行になると言うのは、勝負を捨てたのか?
チーム内が何となくバラバラになって、気が付きゃ又降格争いをしたいんかいな。

さて、ここ数日おフランスの話題が続いているので、今日は蛇の目に行ってみよう。

第2次世界大戦が終わると、軍用機の近代化に沿って、各国とも練習機の近代化が始まります。

今まで初等練習機と言えば複葉機が相場だったのに、流石に開放式座席の固定脚複葉機と言うのは、実用機が単葉引込脚が主流となると、性能的にそぐわなくなり、新しい機体が要求されることになります。
英国の場合は、固定脚ながら低翼単葉縦列複座で、密閉式風防を備えたデ・ハビランド・カナダDHC-1チップマンクが1946年に初飛行しました。
そして、英国空軍に735機、カナダ空軍に158機が生産され、英連邦を中心に各国に輸出されて1953年まで生産されました。

中間練習機としてはパーシヴァルP.40プレンティスが採用されます。
これも、1946年に初飛行した低翼単葉固定脚の機体で縦列複座でした。
しかし、これはチップマンクの倍の馬力のエンジンを搭載しているにも拘わらず、最大速度が230kmとチップマンクの222kmと大して変わりが無く、370機の生産に止まりました。

ただ、時代は急速にジェット化に進んでおり、この程度の練習機では既に性能不足は明らかでした。
そこで、ハーヴァードに代わる中・高等練習機として近代的な練習機の仕様書が纏められ、ボールトンポール社とアヴロ社の競争試作として、ボールトンポールP.108バリオールが1947年5月、アヴロアテナが1948年8月に完成しました。
両方ともエンジンはR.R.マーリン35、1,245馬力を搭載し、並列複座、機首下面に冷却器を装備とそんなに変わらないレイアウトで、大きさも重量も殆ど変わらない機体となります。
流石にジェット化の時代に一昔前のスピットファイアのエンジンを持ってしても性能不足で、マンバターボプロップエンジンへの換装も考えられましたが、結局は実現せず、バリオールが162機、アテナが50機の生産で終わりました。

この頃の英国空軍は航空機の急速な性能向上に右往左往していた時代で、色々と試行錯誤を重ねています。
プレンティスに代わる中間練習機として1950年2月にハンティング・パーシヴァル社はP.56プロボストの開発を行いました。
この機体は、今までの初等/中間練習機よりも高出力高性能を狙った機体で、エンジンには今までとは異なり、550馬力のアルビス・レオナイズ126空冷星形エンジンを搭載し、並列複座の機体で最大速度は322km/h、巡航速度260km/hと言う性能でした。
これはチップマンクよりも強力な機体で、以前、パーシヴァルが開発したプレンティスよりも高性能でした。
ただ、この機体が出現した当時、他国では戦闘機ばかりで無く練習機までもジェット機となっている時代であり、折角の高性能でも、ピストンエンジンの機体では性能に限界があるとされ、結局387機生産されたのみでした。

ところで、英国空軍では第2次世界大戦末期にジェット戦闘機としてグロスター・ミーティアの実用化に成功し、戦後も戦闘機はデ・ハヴィランド・ヴァンパイア、ホーカー・ハンターと言った機体を矢継ぎ早に開発していきます。
勿論、こうしたジェットパイロット育成の為、1948年3月にはグロスターG.43、即ち、グロスター・ミーティアの胴体を0.76m延長して縦列複座練習機としたミーティアT.7の初飛行に成功し、1950年11月にはデ・ハヴィランド・バンパイアの並列複座練習機型であるヴァンパイアT.11を初飛行させました。
ただ、これらの機体は元々が実用戦闘機である為、相当な技術レベルにある者で無いと乗り熟すことが出来ず、また訓練時間当たりの飛行経費も大きく、戦後の軍縮機運に於て費用圧縮が叫ばれる中、無尽蔵の訓練も出来かねる状況を生み出します。

こうして、小型のジェットエンジンを搭載して、飛行時間当たりの経費を安く抑えると共に、低速、操縦性容易という点を活かしてジェットパイロット用の初歩練習機を開発する事、また金のかかるヴァンパイアトレーナーでの訓練時間を30時間以上削減する事を目的に、新たな練習機の計画が立てられます。

この仕様に対し、ハンティング・パーシヴァル社ではパーシヴァル145型という機体を提案しました。
145型は操縦性と安定性の向上を主目標とし、性能は二の次とすること、そして、機体部品は前作プロボストの機体部品をできる限り多く流用して開発期間と経費の削減を図る事を目標に設計が進められました。
その結果、プロボストの主尾翼は殆どその侭流用し、主翼の付け根部にジェットエンジンのエア・インテークが取り付けられ、胴体を再設計して中部胴体内に無人機用に開発された推力745kgのアームストロング・シドレー・バイパーASVエンジンを搭載し、ごく平凡な機体を設計します。

流石に、性能の向上に資する為、降着装置の固定尾輪式は前輪式の引込脚に改められました。
因みに、試作機にはプロボストの風防がそのまま利用されていたりします。
ただ、試作機には射出座席は無く、マジステールと異なり、与圧もついていません。

1954年6月26日に初飛行した145型は、米空軍のT-37に先んじて世界最初の量産型ジェット初等練習機という称号を得ました。
プロボストのジェット化と言う意味で、ジェット・プロボストと安直に名付けられた機体は、英国空軍に納入されると、直ぐ様評価が行われました。
その結果、ジェット・プロボストは未経験者で7時間5分、経験者だと僅か4時間55分の同乗訓練で単独飛行が出来るという操縦の容易さで、ジェット機の操縦感覚も容易に掴め、ヴァンパイア・トレーナーへの移行も容易に行える事が判明しました。

その後、T.2からは風防が枠無しのスマートなものに、射出座席が装備され、本格量産型のT.3では強化型のバイパー102を搭載して、翼端に増槽を装備したもので201機が生産されます。
T.4になると推力1,134kgのバイパー202へと換装され、出力は初期型の40%増しとなり、その結果、総重量が増加して搭載量も増し、この頃から出現した対ゲリラ攻撃機としての任務にも使え、198機が生産されました。
練習機型としての最終量産型はT.5で、機首が40cm延長されて与圧装置が追加され、主翼はプロボストの流用品から再設計されて燃料搭載量も増し、総重量が更に増加し、外部搭載量も増しています。
勿論、最大速度は、ピストンエンジンのプロボストの322km/hからT.5では658km/hと倍増しています。

パーシヴァル社はその後、BACに吸収されますが、極めて使いやすく信頼性に富むジェット練習機となっていた為、その使いやすさを利用して、T-37からA-37が生まれた様に、ジェット・プロボストを攻撃機にしようとしたのが1967年に誕生したBAC167型です。

これは、ジェット・プロボストの前部胴体と主翼を完全に再設計し、バイパーエンジンを推力1,547kgの強化型535型に換装、主翼下に8基のハードポイントを取り付けて、70mmロケット弾24発または50mmロケット弾96発、或いは500ポンド爆弾4発を搭載出来る様にして、射出座席も最新のゼロゼロ式を装備し、防漏タンクや装甲板も取り付けて、機首には7.62mm機関銃を2丁取り付けるという完全な攻撃機として再設計されたもの。

ストライクマスターと命名された機体は、対ゲリラ攻撃機としては中程度の機体ですが、多年に亘る使用実績とそれで積み重ねた使いやすさや信頼性は抜群で価格も安い…こうしたところが評価されて中東諸国や旧英領から独立してゲリラに悩まされていたアフリカ諸国、アジア諸国が発注してそれなりのベストセラー機となりました。

それにしても、当初プロボストを開発した技術陣はよもやこれが攻撃機にまでなるとは思わなかったのでは無いか、と思ってみたりして。

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