ジュラルミンが消えた日

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今日は30分だけ早引けしてリハビリに行く予定だったのに、結局ギリギリまで会社にいることになり、早引けした意味がありゃしません。
てか、帰宅する直前に呼び止めるの止めてくれませんかねぇ…上つ方。

御陰で、結構必死になって飛び込むことになりました。
辛うじてリハビリに間に合ったのですが、これが間に合わなかったら何の為に早引けしたのか判りません。

さて、第2次世界大戦では、総力戦となった事から、政府所有の工場に於て使用されていた各社が開発した特許技術を、政府は無償使用したいと言う希望を各社に行っています。
アルコアの場合、1942年に獲得した直接冷却による鋳造技術(the direct chill ingot casting:DC)と航空機用高硬合金75Sそのものと、その圧延に関する特許がそれに該当しました。

アルコアがDC鋳造を開発する前の鋳造は、溶湯を鋳鉄の型に流し込む方法で鋳型の大きさに制限があり、維持、補修も高価なものでした。
最大の鋳型でも4.75インチ×12インチ×20インチで重量も100ポンド未満と言うものでした。

これに対し、DC鋳造は溶湯を鋳型に注ぎ水か油で冷却する代わりに、溶湯に水かその他の冷却液を吹きかけると言うもので、冷却されたアルミニウムは、鋳型の底を深くすれば無限の大きさで成形出来ますし、どんな形状でも、どんな寸法でも選択出来ます。
急速冷却が可能になったので鋳造製品の内部組成も制御が可能となりました。
そして、この製品を生産するのにDC鋳造が非常に有効だった訳です。

ところで、超ジュラルミンは、アルミニウムに亜鉛とマグネシウムを添加する合金です。
これは引っ張り強度を向上させた反面、圧延段階で内部に封入された応力が、応力腐蝕割れ(SCC)を起こす原因であると疑われました。
SCCは極弱い腐蝕でも悲劇的な金属破壊を起こす可能性があり、大量の商業生産を始める前にこの問題を是非共解決しなければなりません。
また、これに代わるアルミニウム、亜鉛、マグネシウム、銅の合金76Sと75Sの開発も進みますが、これにも腐蝕の問題が生じました。
しかし、1940年、実験機の主翼に使用されたAl-Zn-Mg-Cu合金板が、ほんの数ヶ月しか経過していないのに深刻なSCCを起こしていたことが判明します。

このSCC問題は、少量のクロムを添加することでその発生を抑制することが判明し、76Sと75S合金はそれぞれ1942年と1943年に特許が成立しました。
特に75Sの特性を活かした色々なデザインの機械の実験が始まり、その後、長く黄金時代を謳歌しました。

最初にこれが用いられたのがB-29爆撃機の主翼縦桁と上部外板です。
この合金の採用に依り、B-29は1機当り180kgの軽量化に成功します。
ただ生産過程で、この合金は工場側に非常に多くの難題を提供しました。
先ず、ひび割れ無しに鋳造を行うのが難易度が高く、特に戦時需要を満たす為に工場側は素早く対応する必要がありましたし、戦争が進むにつれてあらゆる合金屑が環流し、それを使用するのは難儀でした。
また、75S合金をDC法によって鋳造するにはどうしても寸法制限があり、12×12インチ以上のものが生産出来ませんでした。
アルコアの技術陣は、75Sと言う重要な合金とDC法による生産と言うジレンマに陥ります。
巨額の量産設備を投資する前にこのジレンマを解消しなければなりませんし、腐蝕については既にアルコア技術陣、工場がそれなりのノウハウを溜めているのですが、これらは戦争の中で全然整理がついていませんでした。
その研究要員達も国全体に於ける生産部門での問題解決の為に徴用されており、腰を据えて問題に取り組める状況では無かったのです。

しかし、戦争の帰趨が見え始めた1945年、技術部門内ではDCに用いられる冷却液に問題の原因があると言う事で一致し、社内研究機関に冷却液の試験指示を出しています。
取り敢えず、戦争終了直後はDC鋳造の際の濾過とガス抜きの改善に集中していました。
これは戦争中は充分な熟練工が確保出来なかったのと、戦後直ぐは実験を維持する熟練工員が工場に戻っていなかった為です。
1950年になると世の中も落着き、アルコア社内でも75Sと76S合金に拘わるSCCの問題は種々の対策により影を潜めたかに見えました。

ところが、技術の進歩で航空機の設計が変わると、再びSCCが目につき始めます。
第2次世界大戦までの航空機の構造と言うのは、「板と桁」であり、その上に薄い板を張るか、板を肋材に鋲止めするものが主流でした。
しかし、戦後の機体はB-52に代表されるが如く、着陸車輪や翼の指示部などが大型の構造材となり、中には大型厚板や押出材から削り出したものもありました。
アルコアは7075(1954年にアルミニウム協会が75Sを改称したもの)、特に最も硬度の高いT6材が薄い材質と厚い材質とでは挙動が異なりSCCが引き起こされる事を発見しました。
そして、このSCCは以前には問題にされなかったことが起こる事に気がついたのです。

例えば金属疲労に対する耐性であり、破壊靱性です。
これらは合金の微細結晶から発生するもので合金の硬度を得る為の段階で発生しています。
7075のうち、TM3材に関しては過時効させたものでもSCCに耐性がある事が分かりましたが強度は劣化していました。
航空機の性能は益々向上し、航空機の設計者達はより速い、より荷重に耐える材料を求めたので、重量を減らしながら強度は下げないものを供給する必要があった為、解決は他の方法を探す必要がありました。

1954年にドイツで、実験室の腐蝕テストではSCCに耐性のある合金が発明され、製品として売り出されましたが、間もなく差し替えた材料より遙かに劣ることが判明しました。
アルコアとしてはライバル社に負けない為にもSCC耐性が充分あり、しかも強度を犠牲にしない新合金の開発の必要に迫られました。

この頃のアルコア研究陣は、X線と電子顕微鏡を用いた時効硬化についての研究が主でしたが、段々と物理冶金の研究も始め出しました。
アルコアはケンブリッジ大学で開発された薄い箔の見本を電子顕微鏡を使用して精査する電解研磨法を採用し、これにより微細組織の析出効化の過程が追跡出来ました。
この様な地道の研究の結果、1960年代中にアルコアは各種の合金、特に厚い断面材のSCC耐性を約束する7075合金と割れに強い7475の開発を開始します。

この頃、米国の航空機業界を騒がせていたのは、国防長官のマクナマラが大いに肩入れして開発していた海空軍統一大型戦闘攻撃機のF-111の相次ぐ墜落事故でした。
この機体の墜落原因は鋼部分が微視的な割れを生じ、飛行中の圧力で悲劇的な大きさまで成長する結果でした。
騒ぎの度合いは、ステンレス、ニッケル、マグネシウムなどが絡んだ、1920年代のZR-1の破壊事故以上のものでした。
合金の開発は強力な顧客である米海空軍のプログラムに組み入れられ、7075合金は主として合衆国海軍航空隊から大きな財務援助を得ていました。

こうしてF-111の墜落事故対策は海軍主導で繰り広げられ、その対策製品としてアルコアは7000シリーズの各種合金、更にはアルミニウム/リチウム合金へと発展していきました。

しかし、この墜落事故で散々叩かれたせいか、ジュラルミンの呼び名はアルコアの合金リストからひっそりと消えていったのです。

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