スピード狂

画像

今日は終日雨だとの天気予報に些かゲンナリしたのですが、出掛ける時に少し降られたくらいで、出張に出ても、出先で会議中に土砂降りになったりして上手く豪雨を逃れる事が出来ました。
それにしても、今週は移動が多いから嫌になりますねぇ。
明日も千葉の外れっこしまで出掛けないといけないし、金曜も有楽町まで出張らないと駄目だし。
気温が高い分、移動するだけで消耗してしまいます。

さて、「世界の駄っ作機」的な流れで来ているここ数日ですが、今日もその流れを汲んで…。

先週、日航と全日空との間の幹線バトルについて軽く触れたのですが、日航がDC-4で優位に立ったのも束の間、全日空はコンヴェアCV-330/340シリーズを投入して高度と速度で逆転し、更に4発ターボプロップ機であるバイカウントの導入で乗心地の面でも完全に勝利を収めます。

これに対し、日航は国際線お下がりの機材で対抗しようとしました。
初めてのジェット旅客機であるDC-8の導入で太平洋横断路線や東南アジア路線からピストンエンジン機を駆逐し、「耳の痛くなる飛行機」と言われていたDC-4の代わりに、与圧式キャビンを持つDC-6を5機、そして米国のウエスタン航空から更に3機を購入して国内線用の主力機として投入します。
更に、究極のピストンエンジンと言われたターボコンパウンドエンジンを搭載したDC-6の改造型DC-7が国際線に投入されていましたが、これも直ぐにジェット機が実用化されて旧式化し、しかも、ターボコンパウンドエンジンは構造が複雑で故障率が高く、稼働率が良くない為、DC-8が投入されると直ぐに引退させられ、国内線に回されて、全日空との競争に投入されました。

確かに機材は良くなったのですが、全日空は既にタービン化を実現して、一歩先を行っています。
日航もターボプロップ機を導入しようと思えば出来るのですが、既に全日空がバイカウント、そしてフォッカーF.27と言ったメジャーどころを抑えてしまっているので、今更二番煎じは出来ません。

とは言え、国内線用に利用できるような中距離ジェット機は、フランスのシュド・カラヴェルや英国のBAC111の様な欧州勢しかなく、米国機材しか運用していない日航ではボーイングやダグラスと言ったメーカーがその手の機材を開発するまで全日空に水をあけられっぱなしでした。

一方、当時ピストンエンジン旅客機を開発していたロッキード社は、究極のピストンエンジン機であるコンステレーションを引っ張りすぎ、その後、ターボプロップ4発のエレクトラを製作してタービン化の流れに乗ろうとしますが、既に世の中はジェット化の方向へ向かっており、一旦は売れ掛けたのですが、カラヴェルなどが台頭してくると勢いを失い、且つ、最初の頃に致命的な事故が続発したのでキャンセルが続出してロッキード社に大きな損失を齎した機体になってしまいました。
まぁ、虎は死して皮を残すと言う例え通り、そのコンポーネントと基本設計はP-3哨戒機に流用され、そこでは元を取った訳ですが、ジェット旅客機の世界では、ロッキードは主流になり得ませんでした。

余談ながら、1950年代末期には、この他リパブリック社も民間機への参入を計画しており、第2次世界大戦末期から戦後直ぐに掛けて試作したR-12偵察機をタービン化したレインボーを計画しましたが、エレクトラの失敗を受けて計画を中止しています。

そんな中、ボーイングやダグラスに次ぐジェット旅客機第3勢力として名を上げたのがコンヴェア社です。
CV-440など日本でも活躍している様に、中距離輸送機の分野では米国でもかなりのシェアを占めていたコンヴェア社は、今までの牙城を崩されまいと、ジェット旅客機コンヴェアCV-880の開発に乗り出します。
また、旧式化していたDC-6や開発で躓いたエレクトラの後がまを狙うという意味もあり、更に中距離ジェット輸送機としては、ボーイング社が707型を若干スケールダウンした720型を開発中で、それに対する対抗馬としての位置づけもありました。

開発発表は1956年4月、キックオフカスタマーとしてトランス・ワールド航空から大量発注を受ける等、順風満帆に見えたのですが、愛称が当初スカイラーク、後にゴールデン・アローなど二転三転している様に、当時トランス・ワールド航空の実権を握っていたハワード・ヒューズの意向に引き摺られすぎてスペックなどを改変している内に、先行していたボーイング720が就役してしまい、新鮮味が薄れてしまいます。

実際に就航してみると、ハワード・ヒューズ好みの仕様で、F-104やB-58が装備していたJ79エンジンからアフターバーナーを取り除いた強力なジェットエンジンを4基装備し、小型軽量な機体を引っ張ってマッハ0.88と言う高速を叩き出しましたが、高揚力装置は貧弱で離着陸性能が悪すぎ、米国のローカル空港でも運用に支障を来す有様。
加えて、強力なジェットエンジンを装備すると言う事は、民間機に必要な経済性が全く考慮されていないものでした。

そんな訳で当初300機以上の生産を企画していましたが、トランス・ワールド航空の20機、デルタ航空の17機を筆頭に、全部で65機の生産で終わってしまいました。

で、そんな機体を購入したのが日本航空。
国内線のジェット化用機材として、離着陸性能を向上させる為にクルーガー・フラップやスラットを取り付けた改良型のCV-880-22Mを8機導入し、「桜」「楓」「菊」「あやめ」「柳」「すみれ」「銀座」と名付けて1961年から1965年までに国内線初のジェット旅客機として国内幹線に投入しますが、1965年2月27日、「楓」が長崎の壱岐飛行場で離着陸訓練中に横転炎上して2名が負傷、1966年6月26日には羽田で離着陸訓練中の「銀座」が離陸に失敗して炎上し5名が焼死するという事故を引き起こしてしまいます。
その後も粘り強く各種の対策を施して運航を続けましたが、実用性はDC-8に比べると明らかに低く、1971年には全機引退となりました。

余談ですが、880型の性能向上型として1958年7月30日に開発が発表されたのがコンヴェア600。
これはアメリカン航空の要求で990と名称が変更されます。
エンジンはターボファンエンジンに変更し、エリア・ルールを採用して胴体を延長して搭載力を増し、前縁スラットやクルーガー・フラップを装備して離着陸性能を高めた機体で、これまた強力なエンジンにより、常用限界マッハ数をコンコルドなどの超音速輸送機を除いて世界最高の0.91にまで引き上げました。
これもまた、ハワード・ヒューズ好みの仕様です。

ところが、1961年1月24日に初飛行をした機体は、外側のエンジンポッドに振動が発生したことから改修を実施し、その結果ポッド周りの抵抗が予想以上に大きくなってしまい、速度が大幅に低下してしまいました。

この為、アメリカン航空に保証していた速度性能を当初の値から40ノット以上低くして507ノットとしたのですが、アメリカン航空はこれを見て25機の発注を15機へと減少させてしまいます。
しかも、引き渡しは当初の契約から10ヶ月遅れの1962年1月になり、その後、保証速度を540ノットに向上する条件で、アメリカン航空が5機引取りましたが、後はスイス航空が採用したくらいで、スカンジナビア航空が発注した2機は同社の経営不振で一旦引取を拒否されたりと散々で、結局37機の生産で終了してしまいました。

この880/990シリーズの開発費が嵩んだことにより、1961年度のジェネラル・ダイナミクス社(1961年からは傘下の事業部全てがジェネラル・ダイナミクス社に吸収される)の収支は、当時のレートで7,400億円を売上ながら、515億円という米国企業史上最大の欠損を記録してしまっています。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのトラックバック