翼をください

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今日は千葉の辺境まで出張。
とは言え、出掛ける直前まで会議してみたり、色々やっていたので、15時にそっちに着く予定が、15時半過ぎてもまだ出発地点にいて、結局着いたら17時前。
予定では、17時前で終わってさっさと帰り、リハビリに行こうと思っていたのに当てが外れました。

さて、今日はビジネス機の話。
企業の要人を乗せて世界各地を飛ぶ機体は、戦後の米国が発祥です。
民間旅客機はその運航スケジュールに縛られますが、自社保有のビジネス機ではそんな状況に左右されることはありませんから…とは言え100%その意向通りには行きませんけど。

当初は、戦前にビーチ社が開発・生産したビーチ18が主に使われていましたが、その機体は尾輪式で星形エンジン双発の旧式な形態である為、戦後になるとビーチクラフトは元より、セスナやパイパーと言ったメジャーどころが次々にその分野に参戦します。
とは言え、これらの機体はまだまだ大衆向けの軽飛行機に毛のはえた物で、企業の要人輸送には性能的に十分なものでは有りませんでした。

で、旅客機がタービン化して来ると、当然のことながらこの分野の機体もタービン化が要求されます。

最初にタービンエンジンを装備した高級ビジネス機は、軍用機メーカーであるグラマン社が民間向けに開発したグラマン159ガルフストリームという機体です。
大型旅客機の分野では既に市場が飽和状態であることを見越したグラマンは、民間市場に参入するに当たって、当初から民間用旅客機としての利用は全く考慮されておらず、ターボプロップ旅客機の性能を持ちつつも、旅客は僅か15名程度と言う機体を1958年8月に開発しました。
エンジンはYS-11などと同様にRRダートを搭載しており、その強力なエンジンにより滑走路長1,220mの飛行場なら何処でも発着陸出来る機動性を有しており、グラマン鉄工所譲りの構造は軍用機並みの25年間の利用に堪えうるものとされています。
当然、お値段はかなりのものですが、当時としてはニッチな分野だっただけに、100機以上の受注を得ていました。

次に開発したのはエアロコマンダー社で、こちらは手堅く与圧式キャビンを持つ高級ビジネス機だったエアロコマンダーをターボプロップ化したターボコマンダーを開発し、市場に投入しました。
因みに、エアロコマンダー社が生産していたエアロコマンダーの一番最初の型である520はダグラスB-26の設計者テッド・スミスにより開発が行われたもので、最初の機体は極めてB-26に似通っていました。

これと同時期に開発されたのがビーチキングエアで、こちらも前作クイーンエアの主要コンポーネントをそのまま活用し、与圧式キャビンを設けて手っ取り早く高級ビジネス機として衣替えしたものです。
これは現在でも活躍しています。

しかし、世の中はより高速化へと向かっており、ジェット化に進むのは必然でした。

米国に於ては、先ずこうした小型ジェット機は、軍用機として開発されます。
米国空軍が多発機の操縦練習や航法・機上作業訓練、連絡、軽輸送その他の多用途に用いるUCXと言う計画を提示したのが1956年8月。
この仕様を元に、ロッキードは設計開始から僅か241日の1957年9月4日にCL-329と言う機体を初飛行させます。
この機体は、米国最初の尾部エンジンポッド装備の機体であり、試作機はターボジェット双発でしたが、生産機はJT12を4発搭載したものとなり、ジェットスターと名付けられて、民間にも売り出されます。

この仕様に応じたのはもう2社あり、1社はマクダネル(ダグラス)社で、こちらはDC-8を小型化した様な119型と言う機体を開発したのですが、これはロッキードの成功を見て開発中止に追い込まれました。

もう1社、これに応じたのがノース・アメリカン社でした。
こちらの試作機NA-246もCL-329と同様な尾部エンジンポッド装備の機体でしたが、主尾翼構造は同社が開発し生産していたF-86セイバー戦闘機の構造を少し後退角を浅めにして装備することで開発費の逓減を図っています。
こうした翼構造の利用と、民間に売る場合のネームバリューを考え、この機体はセイバーライナーと名付けられます。
セイバーライナーはジェットスターに遅れる事1年の1958年9月16日に初飛行しました。

結局、空軍のUCX構想は中途半端なものに終わり、一応勝者はCL-329で、空軍はこれをC-140と命名して採用しました。
一方、ノース・アメリカン社のセイバーライナーも甲乙付けがたく、空軍はこれをT-39と命名して採用し、海軍もこれに続きました。

ところで、こうした翼構造の流用と言うのは昔から軍用機を民間機に衣替えする際によく使われた手法です。
特にボーイングでは、B-17の主尾翼構造を流用してストラトライナーを、B-29/50のそれはストラトクルーザーへと衣替えしました。
同様に、ソ連のTu-95もTu-114に衣替えしていますね。

安価に高性能の機体を提供するという意味では、エアロコマンダー社は、既存のエアロコマンダーのイメージを壊さない様に、当初の機体はグランドコマンダーと言う既存の機体の胴体をそのまま流用し、高翼配置だった主翼の位置を中翼に下げて、尾部にジェットエンジンポッドを取り付けるという手法でジェットコマンダーという機体を1963年に製作しました。
これは世界で最初に民間機として製作されたジェットビジネス機です。
但し、市場的には新鮮味が乏しく、中翼配置にした為に機内スペースに余裕が無く、市場的には余り成功せずに後に製造・販売権はイスラエルのIAIに売られています。
「安価に」をキーワードにジェットビジネス機に参入したのが、老舗のセスナですが、こちらは既存機の流用では無く新規開発で且つ安価を実現したサイテーションを製作して売り出し、現在でもこれは改良されつつも生き残っています。

同じ年、電子機器メーカーのリア社がベンチャービジネスとして低価格、取扱簡単を目標に開発したものは、エアロコマンダーと異なり、後退翼を装備していました。
この主尾翼構造は、スイスのFFAが開発していたP-16と言う小型戦闘機のものをそのまま流用したものです。
リアジェットとして知られるこのメーカーのリアジェット23、少し大型化した24は、その価格の安さから大ヒットしたのですが、当初は事故も多く、1度ならず飛行停止の憂き目に遭っています。
今では考えられない事ですが…。

戦闘機の主尾翼構造を流用したと言えば、ダッソー社が1963年に開発したミステール20も、その名前から判る様にフランス最初の実用後退翼戦闘機であるダッソーミステールIVの主尾翼構造をそのまま流用したものだったりします。
試作機は他の機体と同じくターボジェットを装備していたのですが、その後の生産型は、燃費が良く騒音が小さい米国製ターボファンエンジンを搭載し、今は亡きパンアメリカン航空が100機採用してファンジェットファルコンと名付けた御陰でこちらの方が通り名が良くなってしまい、今ではファルコンとして各国で使用されています。

て事でビジネスジェットを貼り貼り…と言ってもいずれもガルフストリームですが。
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