老舗の戦後

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今日は暑い最中でしたが、CPU最大手の会社の中の人の講演会に行って来ました。

それによれば、CPU最大手の会社の開発方針は、チクタク型と言い、1年目はチクの年で回路の微細化、2年目はタクの年でアーキテクチャーを刷新すると言うもの。
今年の場合はアーキテクチャーを刷新した年なので、来年は回路の微細化になるらしい。
しかも、回路の微細化は創業者が唱えた法則に忠実に則っており、22㎚になったら更に70%程ダイを小さくするとか。
まぁ、辻褄合わせで、今度の製品は3D回路設計が可能となったので、高さも使える様になるから更に小さく出来る技術が出て来るであろうと言ってました。
また、OSについても、メインストリームのCPUは64bitしか対応せず、32bitは廉価版やモバイル用CPUしか対応しないそうです。
でも、Windows8が無かった事にされそうな勢いで、やっぱり某社でも無かった子なんだと思ってみたり。

ところで、帰ってきたらももクロの妹分である私立恵比寿中学のサイン会に当選したとの通知が。
それにしても、メインストリームに中々当選せず、こぢんまりした現場ばかり当選するのは何故なんだぜ。
まぁ、贅沢を言えば切りが無いので、楽しみにしておき、絶対に予定は入れない様にしますが…。

さて、前回はマジステールを取りあげたのですが、今回はその対抗馬だったM.S.755とその発展型について。
モラン・ソルニエと言えば、第1次世界大戦からのメーカーで、大戦間期にはM.S.223/225戦闘機を練習機にした様なM.S.230高等練習機を開発し、この機体は映画ブルー・マックスにドイツ最新試作戦闘機として登場したり、1933年にはパトルイユ・デタンプと言う世界でも最初の方の曲技飛行チームを結成したりしているなど、大いに活躍しましたし、第2次世界大戦には主力戦闘機の一翼を担うM.S.406を生産したりしています。

ドイツ占領下では、細々とM.S.406の発展型であるM.S.460戦闘機とそれを基礎にしたM.S.470練習機を開発していましたが、解放後はM.S.460は放棄され、M.S.470系統だけが開発されます。

M.S.470は全金属製低翼単葉引込脚のある意味贅沢な練習機で、エンジンは690馬力のイスパノ・スイザ12Xと言うこれまたM.S.406と同様のものを搭載し、顎に大きな冷却器を置いていました。
これは流石に試作機のみで終わり、生産型では空冷星形14気筒700馬力のノーム・ローン14Mを装備し、最大速度468km/hを発揮して、占領下で生産が進められていたアラドAr.396を解放後国産化した最初の近代型練習機であるSIPAS.10よりも高性能をで、M.S.472/474バノーⅡ/Ⅳと命名されてフランス空軍の主力練習機となります。
その後、離陸時の出力を750馬力としたイスパノ・スイザ12Y45液冷エンジンを装備したM.S.475がバノーⅤとなり、200機生産されました。

ところで、当時、この辺りの機材は占領時のストックがまだ沢山ストックが残っていて、バノーⅡとⅣが何故作られたかと言えば、第2次世界大戦でフランス空軍の直協機として活躍していたポテ63のエンジンが余っていた為で、片方は双発エンジンの左回転のものを、もう片方は右回転ものをそれぞれ流用したことから型が事なる羽目になったと言うもの。
また、バノーⅤのイスパノ・スイザ12Y45エンジンは大戦中、フランス空軍の主力戦闘機となったドボアチンD.520のエンジンと冷却器をそのまま流用した為だったりします。

余談ですが、Ar-396を国産化したS.10練習機は、ルノーで生産したアルグスAs411MA倒立エンジン580馬力を搭載したもので、当時の情勢を反映して外板を合板張りにしたものです。
最初はSIPAで生産されましたが、後に電気系統を替えてファルマン社でも生産され、S.111と命名されました。
これをAr-96並に全金属製としたS.12のうち18機、ファルマン社製作のS.111のうち34機は機関銃を2丁搭載し、ロケット弾や爆弾架を装備して対ゲリラ攻撃機に改造され、アルジェリアで用いられました。

その後、暫くは軽飛行機の試作などを色々とやっていますが、何れも戦前の匂いがプンプンしている様な機体で、近代的な機体は1949年のM.S.730シリーズまで待たねばなりません。
M.S.470が高等練習機としての位置づけなら、こちらは初歩練習機であり、230馬力のポテ6D倒立エンジンを搭載した低翼単葉、全金属製の機体で、胴体は上部左右と底部の3つの部分を各一体構造で製造し、最後にリベット留めで組み立てるまるでプラモデルの様な生産方式を採っています。
座席は前に並列の2席と後部に1席の合計3席あり、試作型のM.S.730は固定脚から出発し、様々な引込み方式が検討された結果、生産型のM.S.733アルシオンでは、外側への引込脚となりました。
そして、1952年から戦前の複葉練習機であるタイガーモスやスタンプS.V.4Cに代わってフランス空軍に納入され、300機が空軍と海軍に使用されています。

次いで、モラン・ソルニエが空軍に提案したのが、フーガマジステールと一騎打ちとなったM.S.755フルーレです。
これは並列複座の機体である以外はエンジンも同じなので似通った形態であり、操縦性の面からマジステールに軍配が上がってフルーレは不採用となりました。

しかし、ただでは転ばないのが老舗たる所以でしょうか。
モラン・ソルニエは、2号機を改造して複座の胴体を延長して前後2席の合計4座としたM.S.760パリを生み出しました。
これこそ、世界最初のビジネスジェット機であり、4座にしたことで使い勝手も良くなり、フランス空軍の連絡機として採用されたほか、元々の機動性の良さを活かして、戦闘練習機としても利用され、海軍や研究所に少数機を引き渡したほか、合計で100機近くが調達されています。

戦術攻撃訓練の場合は7.7mm機関銃が固有装備となるほか、30mm機関砲1門を装備し、爆弾など500kgまでの外部装備を取り付けられると言う多用途ぶりで、軽攻撃機としても利用出来ます。
尤も、その場合は後席と複操縦装置は取り外されますが。
勿論、その機動性は4座ながら戦闘機に近い曲芸飛行も出来ると言うものです。

こうした機動性や多用途ぶりが評価されたのか、アルゼンチン空軍と海軍に36機、ブラジル空軍にも23機が輸出され、更に米国のビーチクラフト社も製造権を購入するなど、それなりに成功した機体となりました。

Ⅰ型、Ⅱ型までは軍用機としての名残が強かったのですが、Ⅲ型になると、軍用機から脱却し、スライド式キャノピーを有していた客室も完全な与圧室となり、座席数は6に拡大するなど、純然たるビジネスジェット機となりました。
とは言え、軍用機としての出自は幅の狭い胴体などに残っており、エンジンがターボジェットで胴体に近い場所にあること、居住性の悪さ、発展性の無さが、これ以上この機体が売れなかった原因だった様です。

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