真説 浅井長政嫡子 越後・浅井帯刀秀政

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今日も地域循環バスがベタ遅れだったので、歩いて駅まで。
それにしても、5分前にバス検索サイトを見ると1分遅れなのに、実際に到着時間近くになると5分以上の遅れになるのは、車椅子の乗降があるからなんだろうか。

先週金曜日が非常にドタバタしていたのですが、今朝は今朝で一番上から雷が落ちて、上つ方が右往左往。
と言っても、こちとら何の手出しも出来ません。
3年前のバグがいきなり出て来たものだから、「殿、そんな理不尽な…」てな感じの話。

で、明日は内科の方の診察です。
連帯保証人の問題さえ無ければ、さっさと用紙を出して、明後日から入院、そして明明後日内視鏡手術で、金曜には退院という絵図を描いていたのですが、連帯保証人の人に判子を付いて貰わねばならぬので、恐らく週明けくらいになりそうな予感です。
それまでに、管が落ちなければ良いのですが…。

さて、ここ最近読んでいた本。

『真説 浅井長政嫡子 越後・浅井帯刀秀政』と言う長いタイトルの本。

浅井長政と言えば、武田信玄による信長包囲網に賛同して、朝倉氏と共に信長に反旗を翻し、戦い利非ずして、奥方と娘等を信長に引き取らせた後、自らは自害します。
また、落とした嫡子万福丸は、潜伏中に捕えられ、関ヶ原で磔刑に処せられて、男系嫡流は途絶えたことになっています。

しかし、実は長政には信長に知られていない男子が1人おり、守役に守られて近江を落ち延びたと言う言い伝えが残っています。
その伝説で一番有名なのが、近江の福田寺に落ち延びた万寿丸が、後に寺を出奔して江戸に出、お江の方と対面して後、細川家に仕官したというもの。
様々な小説家が、この言い伝えを元に物語を書いています。

ところが作者はこれに疑問を持ちます。
元々、この作者自身も浅井家の末流に属する人なのですが、この人の先祖は越後の出だからです。
その出自も、調べていくと浅井長政に辿り着きます。
ただ、この事実は長らく表に出ませんでした。

それは何故か、そして何故越後に浅井長政の末裔がいるのか、その辺りを資料を紐解きながら丹念に追った労作です。
勿論、資料が乏しく、様々な断片を組合わせて論拠を作っているので、もしかしたら牽強附会と言われうるかも知れませんが、古文書、しかも一次資料を出来る限り当たっての論拠補強を行っているので、九州説よりも越後説の方がかなり有力では無いかと言う説得力があったりします。

確かに常識で考えても、近江とその周辺で信長が一心不乱に浅井家の残党狩りを遣っているのに、小谷城の城下にほど近い寺に長政の嫡子が生存していると言うのは、余程の僥倖が無いと難しいでしょうし、江戸時代になって寺の僧正の地位を棄ててまで出奔して江戸に出て来ると言うのも、不自然です。
更に、何の伝手も無い人が急に将軍家御台所に逢えるのかと言う疑問もありますし、何の実績も無い彼が細川家に仕官すると言うのもおかしな話です。

作者は、近江の福田寺に落ち延びた嫡子は、そこに長くいた訳では無く、直ぐに信長包囲網の有力大名だった武田家を頼って更に落ち延びたのではないかと推測します。
しかし、そこも安住の地では無く、武田家はその後暫くして信長に蹂躙されてしまいます。
この為、武田家の家来筋であり、自分と同じ血統の横田家を頼り、更に窮鳥として、蘆名と上杉に両属していた山之内家を頼って行ったと考えています。
ところが、蘆名滅亡後、上杉に属していた小大名であった山之内家は、今度は秀吉の奥州仕置によって滅亡の憂き目に遭い、浅井の嫡子は再び流浪して、山之内家が昔支配していた越後に更に落ち延び、潜伏する、と。

これが越後浅井家の祖となったと作者は考えています。
その後、関ヶ原の合戦で上杉家に呼応して一揆を起こした浅井家は、堀直寄の追討で更に潜伏を余儀なくされ、魚沼の山の中に居を構えます。
上杉に変わって、会津を支配した保科家によって山之内家が取り立てられると、家来筋も軽輩ながら士分に取り立てられ、その客分格だった浅井氏にもお零れが回ってきます。

保科家に取り立てられた際、山之内家に属する人々は由緒を書いて会津に提出する事になります。

その頃、江戸では3代将軍家光の時代。
その母であるお江の方は、言わずと知れた浅井長政の三女となります。
また、皇室に目を転じると秀忠の女和子が、後水尾天皇の皇后となり、後の明正天皇を生みます。
つまり、浅井家は織田家と徳川家に滅ぼされたのにも関わらず、遂には徳川家の乗っ取りに成功し、また皇室の外戚になったことになります。

そして、お江の方の七回忌法要の時、明正天皇は曾祖父である浅井長政に対し従二位中納言を追贈したのです。
これは水戸家の極官よりも格上の破格の待遇となります。

由緒を書き提出する際、越後の浅井家当主は、事実を書くかどうかを悩んだのでは無いでしょうか。
もし、自分が浅井長政の嫡子であると名乗り出たのなら、彼は将軍家と叔父甥の間柄となり、天皇に対しても血筋となります。
更に、当時、自らの居住地を支配していた越後高田松平光長も、秀政とは叔父と姪の関係になる勝姫の子供であり、これまた縁戚関係となります。

しかし、関ヶ原の合戦では上杉遺民一揆に荷担することによって、徳川家に対して弓を引いており、今更名乗り出ても、折角の長政の官位追贈に傷が付く可能性がありました。
また、今までも生き延びるために余り大っぴらに長政嫡子という事を公にしなかったことから、由緒提出の際、自らを浅井家の傍流であると書き記したのでは無いかと推測しています。

因みに、越後浅井家が、長政の嫡流である事を明らかにしたのは江戸時代後期に入ってからの事だそうです。

この様な謎解きに満ちた本なので、中々知的好奇心を刺激されるものとなっています。
ただ、古文が結構出てくるので、その辺が苦痛な人にはお勧め出来かねますが。

真説 浅井長政嫡子 越後・浅井帯刀秀政
宮帯出版社
浅井俊典

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