豪州空軍のドイツ機

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今日は会議が続いてドタバタ。
昨日、夜遅くまで仕事をしていた関係で、今日はぽやぽやしてしまい、ポカを繰返してしまいました。
まぁ、余り致命的なことをしなかったので良かったのですが。

明日は南風運用なので成田に行こうと思ったのですが、午前中ガッツリ雨なので(号泣)、明日も引き籠りになること確定です。
昨日の時点では、15時に雨が降るだけだったのに。

さて、ここ最近は蛇の目づいているこのブログですが、今日は少しだけ鉄十字臭を。

1941年12月に太平洋戦争が始まります。
日本軍は南方を瞬く間に席巻し、連合国は多くの損害を出しました。
連合軍は豪州大陸にまで撤退し、反撃の態勢を整えますが、様々な連合国の機材が豪州に敗走しました。

特に、豪州に近い蘭印では、米国に発注していたMartin 139/166爆撃機が58機、Curtiss Hawk75A-7戦闘機24機、Curtiss Wright CW-21B戦闘機24機、Brewstor B.339O戦闘機59機を擁していたものの、シンガポール防衛用にHawk75A-7部隊を送り出したのと、広い国土を守るには不足し、1942年2月の撤退の時点では、B-339Oは27機、Martin 139/166は35機、Hawk75A-7は全機失われていました。

海軍航空隊としてはドイツとオランダで生産されたDo.24Kが37機、主力として配備されていたほか、PBYが36機、A-20が6機引き渡されていましたが、後者は間に合わず、1機が日本軍に鹵獲されています。
この他、本国で生産されたFokker T.4雷撃水上機11機、C.11W水上偵察機8機が配備されていましたが、日本軍の攻撃で大多数が失われ、連合国の領土に辿り着いたのは、セイロンに逃れた4機のPBY、豪州に逃れた6機のDo24KとPBYが5機のみでした。

1942年4月29日、Rathminesの基地で豪州空軍に引き渡され、A49となった6機のDo24Kは、総てドイツ製の機体で、1937年に生産されたものです。
ただ、かなり酷使されたため、オランダから引き渡された際には、金属部分がかなり腐蝕していたそうです。

しかし、連合国の航空機不足の為、これらの機体も修理しながら豪州大陸とニューギニア近辺で、物資輸送とか救難用に利用されました。
中でも6号機は、蘭領ニューギニアに於いて、亡命オランダ空軍での諜報員送り込み任務専用機として1943年10月に豪州空軍に引き渡されるまで用いられています。

5号機はDarwinに分遣されていましたが、1944年3月11日に港湾火災で沈没し、部品取りに転用されました。
それ以外の機体も1944年12月20日、部品が枯渇したために退役を余儀なくされました。

民間機としては、New Guinea Airwaysで3発のJunkers G.31が1機、単発のW.34が2機用いられていました。
これらの機体も、1942年1月30日、3月5日、3月24日に豪州空軍に引き渡され、何れもA44と命名されました。
元々、不整地滑走路からの離着陸に定評のある機体でしたから、民間航空時代同様にNew Guineaへの物資輸送に用いられましたが、G.31は1942年10月30日に事故を起こし、修理したものの1943年3月14日には耐空証明が切れて部品取りに転用され、W.34も1943年6月16日に部品取りに転用されてしまいます。
これらの機体はQueenslandからRathminesの基地に移され、解体されてしまいました。

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