松の木製の滑空機

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遂に我が家にもあの悪名高きスマートメーターが設置されるようです。
もし、火事になって、全焼したらどうしようと不安ばかりが募ります。
せめて、まともな工事業者が来ます様に…。

他社の電力会社に切り替えることも検討しましたが、エネルギー構成がイマイチ不明瞭なものが多くて、手を拱いているうちにこれですよ、と。
この面では、日本は本当に後進国だから。
電力も地産地消出来る様に、小型の水力発電所を彼方此方に設けるとか出来ないものでしょうかねぇ。

さて、ここ最近蛇の目ならぬカンガルー付いている訳ですが、今日もカンガルーの話。

戦闘機のパイロットを養成するためには、操縦技術だけで無く空戦技術、更には、射撃技術の向上も必要です。
射撃技術向上のための手段としては、実弾射撃に勝るものはありません。
そこで登場するのが、標的です。
基本的には高速の飛行機からワイヤーを垂らし、その先に標的を取り付けて曳航し、練習生はそれに向けて射撃を行います。

勿論、これは消耗品ですから、余り価格が高くても困りますし、数が要ります。
そこで、豪州空軍はRDFと呼ばれる標的を、1950年代初頭に10機入手しました。
8機はEast Sale基地に、2機はLaverton基地に配備しています。

この標的は、双胴の単葉機ですが、動力は無く、松の木を加工して接着剤で組立て、作られています。
直線翼は1本の主桁と2本の従桁で構成され、胴体中央部に載っけられました。
水平尾翼の上には3つの方向舵が取り付けられると言うクラシカルな外観をしています。

しかしこの機体は余りにも時代錯誤すぎて、広範囲に量産され、使われる事はありませんでした。
因みに、こんな機体ですが、この機体を曳航する親機としては、Mustang、Meteor、それにVampireが予定されていたそうです。

流石に、こんな機体ではジェット時代の戦闘機パイロットを養成出来ません。
と言う事で、豪州空軍が目を付けたのが、1948年に英国軍需省が誘導弾開発計画の為に企画した高速無人機です。
そこで当時、大戦からの復興で手一杯だった本国軍需省からこの計画を引継ぎ、1948年6月から豪州で開発を行います。

A92の正式名称を与えられた試作機は1950年12月から製作を開始し、5号機が1952年8月28日に初飛行に成功します。
無人機としての開発用に製作された1号機は1951年10月19日に引き渡され、各種試験を行いましたが、最終的にWoomera実験場で、1954年6月11日に破壊されました。

初期生産型はA92 Jindivik Mk.1と命名されて、1953年3月にかけて12機が製作され、次にエンジンをArmstrong Siddeley Viper ASA-1からASV-3に換装し、エアインテイクとダクトを大型化して、より薄い主翼を持つ改良型のMk.2が88機生産され、初号機は1953年12月11日に初飛行しました。
これらは、Woomeraの兵器実験センターに配備され、その後延命型のMk.2Aが3機、1958年9月18日に改造されたほか、1959年10月9日からMk.2Bが12機生産され、空軍で用いられました。

更にエンジンをR.R. Viper Mk.201に換装したMk.3が1961年3月12日から生産に入り、9機が空軍向けに生産されたほか、改良型のMk.3Aが1961年11月10日から生産されて10機が空軍に、31機が海軍に納入され、1968年7月4日からは更に改良されたMk.3Bが生産に入り、47機が海軍に納入されています。

A92は豪州海空軍で利用されたほか、輸出型も結構あり、最初に輸出されたスウェーデンの他、開発元の英国、それに米国でも採用され、1986年までに500機以上のJindivikシリーズが生産されています。
残った機体も、Mk.4またはMk.4Aに改造されて、1990年代まで使われています。

因みに、A92の構造は極めてシンプルです。
胴体は4つの部材からなっており、前から機首部、装備収容部、中央胴体、後部胴体の4つで構成されています。
エンジンは先に述べた様に、練習機などにも用いられたArmstrong-Siddley(後にBristol-Siddley、更にRolls-Royce)Viperターボジェットエンジンです。
パワーユニットは後部胴体に搭載され、64ガロンの燃料タンクが設置されました。
インテイクダクトの近くには接地の衝撃に備えた衝撃緩和装置(エアバッグ)があります。
主翼は直線翼ですが、その翼内には左右それぞれ16ガロンのインテグラルタンクが設置されています。
翼下にはペイロードを搭載出来るポイントが付いており、カメラポッドなどを吊り下げることが出来ました。

地上からの離陸時は、ドリーに搭載されて離陸速度になったら切り離される仕組みを採用していたほか、航空機からの曳航も可能になっていました。

これを発展させ、少し大型化して人が乗ることの出来る機体として開発されたのが、A93 Pikaです。
Pikaは、豪州で自主開発した初めてのジェット機になりました。
1950年10月31日に初飛行した初号機は、1951年4月5日に事故で失われ、Jindivik Mk.2の成果を取入れた上、ノーズコーンを伸ばしてテイルパイプを延長した、2号機が以後のテストを引継ぎました。

この機体は、操縦席を設ける為に、機首にあったインテイクを側面に取り付け、Jet Provostに非常に似た形態になっていました。
こちらは単座ですが。

2号機は、1954年6月25日までに214回の飛行を行っています。
その後、この機体は南部オーストラリアのEdinburghで保管され、1970年代からはPoint Cook Museumで展示されています。
ついでに、1950年11月当時、Pikaは世界でもっとも小さな引込脚機として、世界記録を持って居たそうです。

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