信濃中世武家伝

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昨日今日と2,000歩以上歩いたので、取り敢ず今日は家に引き籠もり。
明日は映画でも見に大宮に行くかエビ展を見に渋谷に行こうと思っていたのですが、どうも雨らしいので、どうしたものか悩んでいます。
余り雨が続く様であれば、雨をついても出掛けた方が吉の様な気がするし。

出来れば、5月3日と5日辺りは成田に出掛けたいんですよね。
折角の連休だというのに、何処も行かないのは…そりゃ、体力が落ちているのはありますが、余り引き籠もっているのもどうかと思うので。
まぁ、成田の場合は関空やセントレア、羽田に比べると余りトラフィックが多く無いので、ベンチさえ確保出来れば座っている事も結構多かったりするのですよ。
途中の空き時間の他、特定の機種以外、国内線の機体に関しては、ベンチに座ってぼーっと眺めているもありかな、と。

で、今日は先月末の成田の釣果を整理していました。
大分、片付きましたが、後300枚程度残っています。
と言うか、3月21日の分も残っていたりする。
本当は入院中に片付ける予定でしたが、PCの電源を持ってくるのを忘れたので、PCを作業に使うことができませんでした。

なので、入院中読んでいた本の紹介。

『信濃中世武家伝 信濃武士の家紋と興亡』(田中豊茂著/信濃毎日新聞社刊)
一昨年に購入した本ですが、中々読む機会が無くて積ん読になっていたものです。
作者は、信濃とは縁もゆかりも無い丹波篠山の人。

時に、信濃と言えば厨二病で絶対に通過するゲーム、「信長の野望」シリーズや「天下統一」で武田信玄を選択すると最初に攻め込む場所です。
武田信玄と言えば、何となく信濃と言うイメージがありますが、実際には甲斐の武将。
では、信濃の武将と言えば誰がいるか、と言うと、一番有名なのが真田ですが、真田はどちらかと言えば戦国後期に出て来た家であって、本来の名族とは言い難いものがあります。

実際に信濃で勢力を持って居たのは、小笠原、諏訪、村上、木曾の各氏です。
このうち、小笠原と諏訪は何だかんだ言いながらも、江戸期を通じて大名家として存続していますし、木曾氏も改易されましたが江戸期まで大名家として遇され、村上は上杉家の一門衆として会津に勢力を扶植しました。

米の産出こそ少ないですが、そもそも甲斐国同様、信濃国も京に供給する馬の一大産地でした。
馬は戦力にもなりますから、結構な値で取引されます。
その為、彼等はかなりの経済力を有していました。
しかしながら、武田の甲斐、上杉の越後、今川の駿河などと異なり、信濃は軍事の重要性、即ち馬を産出すると言うことで、鎌倉期は北条得宗家の直轄地でしたし、室町に入ると小笠原氏が守護大名となるも、南北朝時代は北条家の影響力が強く、その後は南朝の皇子が入り込んだり、幕府の方針も一貫せず、小笠原氏がずっと信濃の支配を続けることが出来ません。
また、都にいた小笠原宗家と、地生えの小笠原支族との対立もあり、守護大名だった小笠原は戦国大名への脱皮に失敗し、遂には武田に国を逐われることになります。

諏訪氏は、諏訪神社の上社と下社に分かれ、経済力を誇っていました。
また北条得宗家の保護を受けていた関係で、小笠原一族とは対立関係にあり、北条得宗家が滅んだ後も、南朝を奉じて室町以降守護家である小笠原一族と対立を繰返します。
途中、上社と下社の一族同士の対立も加わり、弱体化したところに武田氏が侵攻して本宗家が滅ぼされます。
これも戦国大名になり切れなかった訳です。

村上氏は先の二者よりも規模が小さいので、国持までには至りませんでしたが、上杉や長尾家の後ろ楯を得て北信濃に一定の勢力を扶植しています。
こちらも守護大名の小笠原家とは対立を繰り返し、特に大塔合戦では国人勢力の盟主として彼等を率い、守護大名家を撃破しています。
城などはかなり盤石なもので、武田信玄も攻めあぐねますが、最後には影響下にあった海野一族などが真田家の調略にあって信濃を追われました。
しかし、信濃を追われたのが原因で、庇護者を自認する上杉謙信と川中島に於いて武田信玄が度々合戦を繰り広げた訳です。

木曾氏は木曾谷という特殊な地形を根城に、守護大名家である小笠原とは距離を置いています。
彼等は木曾義仲の後裔を名乗っていますが、室町時代の木曾氏は実は平家であり、木曾氏の名跡を僭称しているに過ぎません。
それでも、その領地の特殊性もあり、武田信玄は信濃攻めで無理に木曾氏を攻略することをせず、膝下に置く事を考えています。

これら、小笠原、諏訪、村上、木曾の各氏は、信濃四将と呼ばれましたが、勿論、信濃の武将はこれだけではありません。
これら信濃四将の一族もいますし、大きな勢力に育ちきれずに、複数の村、地域を支配する国人領主が数多います。

この本では、こうした小さな規模の国人領主にも焦点を当て、相当量の資料を読み解いてその実像に迫ろうとしています。
小さな規模と言っても、後に江戸幕府の大名や旗本となった保科氏、真田氏、遠山氏、依田氏などもいますし、何とか家を繋いで、真田氏や小笠原氏、それに上杉氏の家臣として仕えた家もあります。
そうした家、あるいは帰農した家にはそれなりの資料がありますが、戦国期に滅亡した家となるとちゃんとした資料が残っているものは皆無に等しく、周辺の地誌とか神社仏閣の記録から辿るしかありません。
流石にどうしても記録が見つからないあるいは精度として如何なものかという記録類がない武家は漏らさざるを得ないのですが、それでも全部で32家に上る武家を取り上げています。

著者の研究熱心さには頭が下がる思いです。
その推理の過程も探偵小説を読んでいる様な感じですし、その部分を読むだけでも面白いです。
また、家紋から、先祖がどこから来たか類推すると言うのもやっています。

余談ながら、様々な武家が行き交った信濃ですが、備中の戦国大名であった三村氏は、関東を出自にしていますが信濃を経て、備中に新補地頭として派遣され、その一族が備中を征して戦国大名へと脱皮しました。
一方、薩摩に勢力を持って居た島津氏は、鎌倉時代初期に九州の領地に加えて北陸から信濃に掛けて領地があり、庶子家を支配に当たらせています。
その後、庶子家は島津本家との関係が絶たれますが、信濃の島津家は、武田信玄に圧迫された後、上杉謙信に仕え、重臣として会津でも重きを置く様になっていたりします。
この辺の有為転変も面白かったです。


信濃中世武家伝 信濃武士の家紋と興亡
信濃毎日新聞社
2016-11-25
田中豊茂

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